高橋さんは、盗みへの依存という経験をこのように振り返る。
「思い返すと、常に何かに熱中することで私は人生をやり過ごしてきました。学生時代は部活だったり受験勉強だったり、社会人になってからは仕事だったり。その対象が万引きになっても、金銭の枯渇恐怖から抜け出せずにどんどん依存していきました。クレプトマニアは罪の意識が希薄だと言われます。私自身、『盗ってもいいだろう』くらいに考えていました。相手の立場を推し量ることができていませんでした」
精神科医としてYouTubeを通じて心の問題について発信している早稲田メンタルクリニック院長の益田裕介さんは、クレプトマニアを「我慢の病気」と指摘する。
「日常生活においてストレスが限界に達し、頭が何も考えられない状態になったときに、盗った瞬間だけ光明を感じるといわれています。しかしまたすぐに罪悪感に襲われ、自己肯定感も下がってしまい、日々の生活でストレスを補充していきます」
心の不調和が必ずある
もちろん、普通に生きる人々もストレスを感じるが、うまく発散している。益田さんは、クレプトマニアの人々が最も違う点は、「他人に頼る、打ち明ける」ことが極めて苦手であることだと指摘する。
「万引きという犯罪のイメージと異なり、もともと真面目で融通の利かない人こそ注意したい病気です」
盗りたくないが、盗らざるを得ない。そんな人々に社会はどう向き合うべきか。日常臨床に加えてさまざまな疾患を抱える人たちの患者会を組織する益田さんは、こんな見解を示す。
「現代社会は個人の行為を自己責任に帰す傾向があります。資本主義による競争社会では“みんな平等”という建前を守るために、それは必要なのかもしれません。しかし実際には発達障害などの生きづらさを抱えるがゆえに衝動性を我慢できない人や、さまざまな特性を抱えながら生きている人が大勢います。彼らは総じて、日常生活における悩みを同定する力が弱く、自分が何にストレスを抱えているのかわからないままに依存症に陥ります」
さらに続ける。
「万引きにしても薬物にしても、『犯罪だから』と厳罰を与えるのではなく、もっと具体的に生活をアシストしてあげる制度を整えることが求められると思います」
万引きという逸脱の根源には、ときに本人にさえ知りえない心の不調和が必ずある。逸脱を忌避すれば社会の表層は行儀の良さが維持されるが、個人が抱えるやるせない気持ちの置き場はなくなる。必要なのは逸脱を許さない態度ではなく、それぞれの背景と向き合って解決していく社会の覚悟かもしれない。(ノンフィクションライター・黒島暁生)
※AERA 2023年9月11日号