渋谷の街でド派手ギャルを見かけなくなって、久しい。しかしSNSや雑誌をみれば、ギャル文化はまだまだすたれていないことがわかる。ここに、ギャル文化の継承者とも言える「母娘」がいる。平成の華やかなギャル社会で育った母と、令和の世でコギャルモデルとして活動する小学3年生の娘・のあぴさんの親子インタビューから、時代を超えて受け継がれる〝ギャル文化の本質〟を探った。
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――ギャルになったきっかけは?
母:通っていた中学でのいじめがひどくて、中2からは学校の代わりに大阪の難波に出入りしていたんです。一緒におる子たちが(ギャル雑誌の)「egg」をめっちゃ読んでたから、私も自然と髪染めて、メイクして、カラコンして。でもお金がないから、服は先輩のおさがりで、メイクは何日も落とさないし、ワンデーのカラコンもつけっぱなし。もうみんな命がけでした(笑)。それもあって、ギャルの輪って友情がカタくて、ファミリーみたいなんです。
のあぴ:私は「egg」のストリートスナップに行ったら、写真が雑誌に載って、それからメイクを研究したりして、ギャルがかわいいと思ったからなろうと思いました。
母:気づかないうちにギャルとして育ててたのかもな。新生児のときの服も、ついピンクのヒョウ柄を選んでたり(笑)。
――平成ギャルと令和ギャルのちがいは?
母:昔は、学校行ってない=ヤンキー=金髪=ギャル、みたいに全部イコールでまとめられたけど、のあふくめ、今の子って学業と両立してます。あとは、昔って〝汚ギャル〟が多くて、メイクにきれいもなんもなかった。
のあぴ:そうなん?
母:ないよ。どんだけ垂れ目にできるか、みたいな。(ガングロメイクが特徴の)マンバ世代なんて芸術ですよ。昔、髪めっちゃ盛ってるマンバの人に「どうやって洗うんですか?」って聞いたら、「洗ってないよー香水ふりかけんの」って言ってました(笑)。
今は、ゆうちゃみちゃんみたいな色白のギャルもいるし、多様性の時代ですよね。ギャルの世界って来たらあかん人おらん、体形とか性別とか関係なく自分の好きなことをしたらいいやんって思います。