自宅に居場所がなくなってゆく

 ところが、定年退職して、昼間も家にいるようになり、ようやく自分が疎外された存在であることに気づいて愕然とするのである。しかも、一生懸命に働いて家族を養ってきたつもりなのに、粗大ゴミとか産業廃棄物とか濡れ落ち葉などと言われる立場に自分が置かれているわけである。やるせない気持ちになるのも当然だろう。

 定年よりも前に、そうした兆候に気づく人もいる。それは、早めに覚悟を決めて対処することができるチャンスでもあるのだが、嫌な現実を直視できずに逃避してしまう人も少なくないようだ。

 たとえば、働き盛りの時期を過ぎ、残業やつきあいも少なくなり、早く家に帰るようになったときに、そうした兆候に気づく。帰宅してもよそよそしい空気があり、妻からも、まだ同居している子どもたちからも、歓迎されていないのを感じる。何だか邪魔者扱いされているように感じたり、一緒に食事しても会話が途切れがちで気まずい感じになる。

 家に帰ってからの息苦しさ、居場所のない淋しさ、妻や子どもたちと顔を合わせたときの気まずさ、無視される腹立たしさ。そんなことを思い出すと、とても帰る気がしない。

 それで、とくに急を要する仕事がなくても会社に残ることになる。自発的残業をしたり、自ら望んで休日出勤をしたりして、家庭にいるときに襲われる疎外感を紛らすためにひたすら仕事に向かう。だが、そのように職場を居場所にしている限り、家庭に居場所をつくることはできない。

 仕事帰りに道草的な寄り道をする人もいる。帰宅した後の家での居場所のなさを考えると、家に帰る勇気が挫け、行きつけの店で一杯やって時間を潰してから帰る。これは職場や家庭以外の第3の空間を居場所にしようとの試みと言える。

 このような事例が多いことから、夫の帰宅恐怖症候群などと言われたことがあったが、未だにそうした疎外状況が改善されているとも思えない。家庭に自分の居場所がないと感じる場合は、しっかりと現実を見つめ、何とか対処法を考える必要がある。その際に、踏まえておきたいのが、配偶者の心理状況である。

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「主人在宅ストレス症候群」