『RUSH』ORIGINAL SOUNDTRACK ALBUM
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 1990年1月から2月にかけての、ロイヤル・アルバート・ホールでの連続公演を終えるとすぐ、エリック・クラプトンは『ジャーニーマン』をメイン・テーマとしたツアーを開始している。欧州各国や北米はもちろん、南米、豪州、東南アジアも回り、年末の日本公演がフィナーレという、大規模な世界ツアーだ。

 あらゆる面での完全復活を印象づけた意義深いツアーだが、その途中、彼は大きな事件に遭遇している。8月26日、ウィスコンシン州イーストトロイでのコンサートにゲスト出演したスティーヴィー・レイ・ヴォーンが、終演後の移動中、乗っていたヘリコプターが墜落し、亡くなってしまったのだ。80年代ブルース・リヴァイヴァルの旗手として、クラプトンの原点回帰を側面から支えた彼は、まだ35歳の若さだった。

 そして、翌91年の同ホールでの連続公演終了直後には、4歳半の息子が、母親と暮らしていたニューヨークの高層アパートから転落し、亡くなっている。この悲劇的な事故は一般のメディアでも大きく取り上げられたので、詳しく記憶されている方も多いだろう。

 ふたたびドラッグやアルコールの闇に戻ってしまうのではないか? ファンや関係者の多くが抱いたに違いない心配や危惧をよそに、ところが、クラプトンは意外とも思えるほどの早さで制作現場に復帰していく。

 葬儀などを終えたあと、キース・リチャーズら友人たちからの手紙やメッセージに感謝しつつも、しばらく周囲とは距離を置いていたクラプトンは、この時期、小さなアコースティック・ギターを弾きつづけるうち、いくつもの曲の原型を手にしたという。「悲しみから立ち直るために」という意識だったのかもしれないが、結局は、音楽こそが彼にとってなによりも有効なヒーリングであったのだ。

 自叙伝によれば、ちょうどその時期、彼はアメリカの新進映画監督リリ・フィニ・ザヌックから音楽制作の依頼を受けた。いわゆるビッグ・プロダクションではなく、内容も、麻薬捜査官がドラッグの闇に墜ちてしまうという暗いものだったが(グレッグ・オールマンが密売組織のボスの役で出演)、なにかを感じたクラプトンは快諾。ロサンゼルスのスタジオで、じっくりと時間をかけてレコーディングを行なっている。

 サウンドトラックは、登場人物たちの意識の流れをきちんととらえた硬質なインストゥルメンタルを中心に組み立てられていったが、悲劇から立ち直る過程で書いた曲の一つ、「ティアーズ・イン・ヘヴン」(作詞はスティーヴ・ウィンウッドの曲も数多く手がけていたウィル・ジェニングス)をリリに聞かせると、「ぜひこれも」ということになった。

 しかし、これほどパーソナルな曲を世に出していいものなのか? しばらく悩んだものの、最終的に彼は、「ティアーズ・イン・ヘヴン」も含めた形でアルバムを仕上げることを決断。映画そのものは不発に終わったが、92年1月にシングルとしてもリリースされた「ティアーズ・イン・ヘヴン」は、ご存知のとおり、クラプトンを巡る状況を大きく変えてしまうこととなる。[次回4/1(水)更新予定]

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