『フィーツ』ハービー・ハンコック
『フィーツ』ハービー・ハンコック

 ぼくたちがよく目にしたり耳にしたりする、いわゆる「ジャズの歴史」と称されるものの実態は、いつどこでどういうジャズが流行し主流になったのかという「スタイルの変遷史」ということでしかないのだけれど、それはひとつかふたつの有力なジャズのスタイルがあってはじめて成立する。逆にいえばスタイルが分化・枝分かれしてしまうと、それまで組み立てられてきた「ジャズの歴史」はいっきに足もとがぐらつき、崩壊の危機にさらされる。90年代以降の「ジャズの歴史」が更新されないのは、スタイルに依存して変遷を追うことが不可能になったからなんですね、おそらく。

 そういう状況をつくった張本人がハービー・ハンコックであり、それはすばらしい功績であると、少なくともぼくは思っている。ハービー・ハンコックは70年代中期に発表した数々のアルバムによって、従来のジャズ史観をこなごなに粉砕し、新しい時代には新しい視点が必要であること、「狭義のジャズ」にこだわることの意味と是非を激しく問い質したと、ぼくは評価している。

 その70年代とは、集約すれば、マイルス・デイビスの不在(75年から81年までの長期引退)とハービー・ハンコックの全方位的八面六臂の大活躍という2点に尽きると思う。この現象を別の視点から捉えれば、マイルスの穴をハンコックが埋め、のみならずジャズを基点にした音楽の表現領域をいっきに拡大した時代ということができる。本来であればマイルスがやっていたかもしれないことを、かつての弟子でありマイルス・スクールの最優秀卒業生のハンコックが成し遂げたとも考えられる。

 この時期のハンコックがいかに挑戦的な音楽を創造しつづけ、新たな音楽の地平を開拓したか。機会があれば作品リストをじっくり見ていただきたいのだが、同時代的心情を言わせてもらえば、「あちら側」にはスティービー・ワンダーがいるかもしれないが、「こちら側」にはハービー・ハンコックがいるという頼もしい思いでいっぱいだった。なおジャズ界のコアな部分では、そういうハンコックは「コマーシャルすぎる」として非難されたが、その種の誤解が生まれるのも無理がないほど、ハンコックの活躍ぶりは際立ち、従来の価値観や評価軸を大きく超えたものだった。というのも純正ジャズ・グループのVSOPクインテットから、「あのハービー・ハンコックがディスコに挑戦した!」と騒がれた『フィーツ』まで、これが一人のミュージシャンの音楽なのかと目を疑うようなワイドな展開だったのだから、賛否両論を呼んで当然というものでしょう。

 さて序奏として、ぼくたちは『サンライト』を聴いていた。だから次なる展開としての『フィーツ』は容易に受け入れられるはずだった。ところがハンコックの場合、事はそうカンタンには進まない。『サンライト』のあとには、ハンコック自身のソロ・ピアノによる作品やチック・コリアとのピアノ・デュエットがつづき、さらに一方ではVSOPクインテットによる活動も継続されていた。つまりはアコースティックな世界。そこにそれらを蹴散らすようにエレクトリックでディスコティックな『フィーツ』がやってきた。ぼくにはこの落差がたまらなく魅力的に映った。

 しかし、とここで声を高くしたい。アコースティックであれエレクトリックであれ、フォー・ビートであれダンス・ビートであれ、ハンコックの音楽が変わらず魅力的にして表現域が広く深いのは、常にその原点及び中心にハンコック自身の演奏があるからなのだ。つまりハンコックは、いかなるスタイルやジャンルにおいても「プレイヤー」としての自分を表現することから後退することはなかった。一歩引き下がって、たとえばプロデューサー的立場から指揮をとることを潔しとしなかった。ぼくは、ここにハービー・ハンコックという表現者の矜持と凄みと殺気を猛烈に感じる。『フィーツ』とは、楽しくノリノリではあるが、じつはそのような「怖さ」を秘めた音楽でもあると思うのだ。[次回4/6(月)更新予定]