1843年頃に人の往来があったアメリカのオレゴン・トレイルは現在すっかり荒野になっていますが、その頃使われていた日本の中山道周辺は今も賑わっています。写真は中山道42番目の宿場、妻籠宿(画像提供/筆者)
1843年頃に人の往来があったアメリカのオレゴン・トレイルは現在すっかり荒野になっていますが、その頃使われていた日本の中山道周辺は今も賑わっています。写真は中山道42番目の宿場、妻籠宿(画像提供/筆者)

 アメリカにいてホームシックになったことはある? とよく訊かれます。幸い現代は物流とインターネットのおかげで外国に居ながらにして和の食材がある程度手に入るし、日本の本や新聞、テレビも楽しめるようになっているしで、5年半の米国生活で日本が恋しくなることはほとんどありませんでした。ただひとつ懐かしむことがあったとすれば、それは散歩の楽しみです。日本の魅力的な街並みだけは、どんな技術をもってしてもアメリカに移すことはできないでしょう。

 アメリカの多くの都市は、歩くことを目的に作られていません。歩ける場所があったとしてもそれはダウンタウンの限られた一角か、お店の立ち並ぶ商業エリアか、ウォーキング用に整備されたトレイルか、あくまで住民向けの閑静な住宅街か。いずれも機能的に作り出された街並みで、すっきりとして移動しやすくはあるものの、散歩中迷子になるような楽しさは味わえません。さらに土地の用途が商業と住宅とできっかり分かれているため、住宅街をぶらぶら歩いていたらなにやら雰囲気のいい喫茶店を見つけた、といった日本の町ではごく頻繁に起こりえる幸福な出合いもアメリカではほぼ見込めません。アメリカの住宅街はどこまでいっても住宅街で、店々はダウンタウンとか、ストリップモールとか、あるいは郊外の大型モールなどとしてぎゅっと一か所に集まっています。

 日本の街歩きで偶然出合えるものは、雰囲気のいい喫茶店だけではありません。数百年もの歴史をもつ遺跡や建物なども、なんでもない顔をして街並みに溶け込んでいます。京都や奈良といった由緒ある都市だけでなく、私が住んでいる長野県郊外のなんでもない町にも江戸時代の番所跡が大切に遺されています。アメリカは日本と比べて歴史が浅いのはもちろん、足を使って移動した時代が短いからこうした歴史的建造物が街にほとんど見られないのかもしれません。

 具体的には、ミズーリ州インディペンデンスからオレゴン州オレゴン・シティまで全長約3,490kmのオレゴン・トレイルを多くの人が徒歩や馬車で移動していたのは1843年から1869年頃のことです。1869年に大陸横断鉄道が開通してからは鉄道に、1913年に大陸横断高速道路(リンカーン・ハイウェイ)が開通してからは自動車に移動手段が切り替わったため、人々が足で道のりを残した期間はわずか30年弱しかなかったということになります。アメリカに住んでいるときにオレゴン・トレイルの跡を見に行きましたが、荒野のど真ん中に石碑や博物館が建っているだけで周辺には何一つ残されていませんでした。これは散歩中ふいに出合うようなものではないなと思ったものです。

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大井美紗子

大井美紗子

大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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