──映画に使う素材はどんな観点から選び抜いていったのですか?
「強調したいのは、本作はデヴィッド・ボウイという人の映画ではないという点だよ。ボウイというのは“成分”なんだ。すべての映像は、ステージであれ、テレビであれ、映画であれドキュメンタリーであれ、さまざまな形で彼がパフォーマンスをしている。若い世代にとっては、ニコラス・ローグ監督の『地球に落ちて来た男』のボウイも、BBCドキュメンタリーのボウイも、同じように映るだろう。ボウイがニューメキシコまで行ってローグ監督の映画に出演したなんて経緯は知らないから。それよりも彼のパフォーマンスは新しい世界への扉なんだという点が大切だ。僕にとってボウイの重要性というのは、彼のパフォーマンスがさまざまな文化に導いてくれた、という点なんだ。この映画を編集している時、彼がアーティストとして受けた影響やインスピレーションを、映画作りの要素として使った。ボウイはいろんな分野から影響を受けていた。哲学、美術、オペラ、映画、舞踊といった要素を、彼の写真や本、映画などの膨大なアーカイブの中から、あてはまるものを選んで落とし込んでいった。彼が影響を受けたものと、彼の作品を関連付けたんだ。そうすることで、若い観客に多彩な文化を紹介することになると思った。例えばフリッツ・ラング監督の映画『メトロポリス』(1926年)のワンシーンを観て、若者が“これは何?”と興味を示してくれたら、デヴィッド・ボウイが大切な役割を果たしたことになる。それは素晴らしい」
──アイコニックなボウイ像に隠された生のボウイ、例えば私生活での発見などはありましたか?
「僕は彼の私生活については興味がない。そのドアを開いたことはなかった。ボウイはプライバシーを重視した。そこに侵入する気は毛頭なかった。本作で語るのはアーティストとして知られたボウイ像だ。これは伝記映画ではないんだよ」
(高野裕子=在ロンドン)
※週刊朝日 2023年3月31日号