エリック・クラプトンと同じ1945年生まれのアーティスト、ニール・ヤングは、1989年の秋に《ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド》を発表している。同年春に実現した2度目の来日公演でも演奏され、発売前にもかかわらず、オーディエンスに強烈なインパクトを与えていた。80年代を通じて、ビジネス面でのトラブルも含めて「迷走」という印象を与えることの多かったニールの健在ぶりを示しただけではなく、いわゆるグランジ・ムーヴメントへとつながる、新しい時代の幕開けを告げた曲だ。
天安門事件やベルリンの壁崩壊など大きな出来事がつづいた89年は、ロック=音楽の世界にとっても、間違いなく歴史的転換点となる年だった。《ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド》はその流れを象徴する曲といえるだろう。
85年の『ビハインド・ザ・サン』、86年の『オーガスト』と、外部からの圧力もあり、やや過剰に80年代的トレンドを意識した作品を残してきたクラプトンも、89年11月発表のアルバムで軌道修正というか、原点回帰の姿勢を打ち出している。サウンドやリズムの処理ではまだまだ80年代的イメージを残しつつも、強い影響を受けたシンガーのひとりだと語るレイ・チャールズの《ハード・タイムズ》や、ギターをはじめたころ熱心にコピーしたアーティストのひとり、ボ・ディドリーの《ビフォア・ユー・アキューズ・ミー》、《ハウンドドッグ》なども取り上げた『ジャーニーマン』だ。スティーヴィー・レイ・ヴォーンやロバート・クレイなど、次の世代のブルースマンたちの活躍に刺激されて、ということもあったに違いない。
私生活面では、パティとの離婚という大きな事件もあった。2曲オリジナル作品、フォリナーのミック・ジョーンズと共作した《バッド・ラヴ》、ロバート・クレイとの《オールド・ラヴ》は、いずれも、そこに至るまでの経緯を背景に書き上げられたものだろう。ちなみに、前者によってクラプトンは、個人として初のグラミーを獲得している。
また、『ビハインド・ザ・サン』で出会ったシンガー・ソングライター、ジェリー・ウィリアムスの作品が、《ラニング・オン・フェイス》や《プリテンディング》など4曲も取り上げられていた。《ラニング》は90年代のライヴでは定番曲となり、世界的な規模で大ヒットした『アンプラグド』にも収められている。なにか自分と共通するものを感じて、ということなのか、彼はウィリアムスの音楽性や作品をかなり高く評価していたようだ。
90年代を迎えてからの異様とも思えるほどのクラプトン熱再燃は《ティアーズ・イン・ヘヴン》や『アンプラグド』のヒットをきっかけとしたもの。そのような趣旨の記事や評論を、当時、よく目にしたものだが、重要な起点となったのは『ジャーニーマン』だったと、僕は思っている。そこで得た手応えの大きさが、『24ナイツ』を生むこととなる、ロイヤル・アルバート・ホールでの連続公演へと彼を向かわせたのだ。[次回3/18(水)更新予定]