安く売れば、売り上げが伸びて、儲かる。そう思い込んでいた。でも、安く売るには、安く仕入れなければいけないのに、思ったほど安く手に入らない。小さな商店を守るためにつくられた大型店の売り場面積の規制が緩和され、地域に自店と同規模の店も増えた。どこもが、安売りに賭ける。対抗するため、酒類の販売免許を取った。化粧品を買う女性ばかりでなく、男性も呼び込むためだ。薬と化粧品しか扱わない薬局から「あいつ、おかしい」と言われた。


 苦戦が4年ほど続いたころ、県の薬販売業者の協同組合で、理事長に就く。小さい店が仕入れ数を集めて価格交渉権を強め、安く買う共同仕入れの先頭に立つ。月に2回、夜に集まって勉強会もした。講師の話が終わると、居酒屋で課題や夢を語り合う。熱い時代だった。


■新商品の売り方バス旅行で紹介 客の好みを記憶


 1号店跡の三角地から遠くへ目をやり、「向こうの分譲地に新築住宅の列ができて、どの列の家からきてくれているのかが気になった」と振り返る。客にそれとなく住所や名前を聞き、住宅地図を買ってきて「この家はきている」「きていない」とチェックすると、ある列からは全くきていない。自分たちの品揃えや売り方では、満足してもらえないのか。だとすれば、店はいずれつぶれる──安売りの消耗戦への疑問が、芽生えた。


『源流Again』で、坂戸市浅羽野の2号店にも行った。開いたのは86年で、200メートルしか離れていないところに競合店があり、さらに新規参入店もあって大激戦区となる。


 このころ、旅行会社と組んで「感謝のバス旅行」と銘打ち、客を連れてバスで河口湖や箱根など近隣の観光地へ日帰りでいく。みんなが「楽しかった、ありがとう」と言ってくれた。でも、それだけでは、売り上げにはつながりにくい。


 そこで、考えた。社員たちに「次は添乗員としていってね」と指示し、1時間や1時間半の道中で売りたい新商品を説明させた。顔見知りの客に「商品を紹介するから、買ってね」と言って、前の席に座ってもらう。車中で「これはすごい商品、買うならいまです」とみせると、その客が「いいよ」と答え、隣の女性客に「奥さんも買ってくれる?」と続けた。


 けっこう、売れた。連日のようにバスを2台ずつ出し、多いときは10台に社員を乗せた。社員たちも、売り方のコツを身につけていく。浅羽野店の前で、そんな思い出話が続く。

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