逆に、人間がロボットに反乱を起こすかも!?(※イメージ写真)
逆に、人間がロボットに反乱を起こすかも!?(※イメージ写真)

 SONYのペットロボット「AIBO」のサービスが終了したのは2014年だが、それと入れ替わるように2015年に登場したのがソフトバンクの感情認識パーソナルロボット「Pepper」だ。これまでにもHONDAの「ASIMO」をはじめ、さまざまなロボットが発表されてきた。だが、Pepperが従来のロボットと異なる点は、“目”と“言葉”だ。つまり、コミュニケーションをとって、感情を読み取ることに重点を置いている。

 これまでロボットは、力仕事や精密作業、あるいは厳しい環境下で作業を行うものが開発されてきた。だが、Pepperはむしろ力仕事や精密作業は得意ではない。「人に寄り添い、あなたを笑顔に」する仕掛けが搭載されている。

 映画「ブレードランナー」に、人間と見分けがつかないレプリカント(アンドロイド)が、過酷な環境で労働させられ、人間に反旗を翻すシーンがある。また、手塚治虫の「鉄腕アトム」でも、ロボットと人間の確執が描かれている。

 そもそも「ロボット」という言葉の語源は、チェコの劇作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲「R.U.R」で人造人間をチェコ語で“労働”を意味する「ロボット」と呼んだことに始まる。この作品でロボットが人間に反乱を起こす様子を描いたことで、人間とロボットは対立するという構図が生まれたのではないだろうか。

 こうした背景には、何があるのか。それは、「ロボットに職を奪われる」「存在価値を脅かされる人間」「人間に虐げられるロボット」という認識だ。これまでは、人間がやりたくない仕事をロボットにさせる。そんな人間に虐げられる存在がロボットだった。事実、日本でも、高度経済成長期には産業用ロボットが多くの工場職員が行ってきた単純作業を奪ってきた。

 それでも人間がロボットを虐げることができたのは、ロボットが単純作業しかできない、つまり、微細な調整や仕上げは“職人”と言われる人間でなければできないためだ。一方で、接客やさまざまな判断を要求される仕事は人間にしかできないとされてきた。

 精密加工の世界では職人技がデータ化され、ロボットによる加工がすでに実現している。人ができることは、データ化できるので、それを正確に再現すればいいということだ。では、“判断”が必要な仕事はどうだろうか?

 例えば、クレジットカードの申込時の審査や保険の審査、電話オペレーターをはじめ、顧客とコミュニケーションをとって、判断が必要な仕事はロボットにできないのだろうか? 
 
 いや、できるのだ。ほとんどの仕事は、何も担当者自身がすべて判断しているのではない。マニュアルに従って、先達の経験を元に「判断した」ように思えるだけなのだ。顧客データと過去のデータを比較して、幾つかのパターンから回答を選んでいる。それはロボットにもできる。いや、人間のようにミスをしないだけ、ロボットに向いた仕事ともいえる。

 さすがに、営業のような仕事はできないだろうという声もあるだろう。接客は無理だろうという考えもあるかもしれない。しかし、シンプルなルート営業ならば、何も人間がする必要はない。接客も同じだ。すでにルート営業をネット注文に切りかえてコスト削減をしている企業は多い。居酒屋でも、テーブルのタブレット端末経由で注文するケースも増えている。必ずしも、人が営業や接客しなくても構わない状況はあるのだ。

 AI(人工知能)が搭載され、より高度なコミュニケーション力を持ったロボットが対人ビジネスに投入されれば、多くの人がロボットに職を奪われることになるだろう。かつては、手に職を付けていれば一生食うには困らないと言われていた。しかし、そんな常識さえ、危うくなっている。

 近い将来、人間は高度なクリエイティブ職しかなくなるという可能性も指摘されている。ロボットが人間を駆逐する…そんな時代もそう遠くはないのだ。

(ライター・里田実彦)