ジョセフ・ナイ(Joseph Samuel Nye Jr.)/1937年、米ニュージャージー州出身。国際政治学者。米国防次官補(国際安全保障担当)、ハーバード大学ケネディスクール学長などを歴任。現在、ハーバード大学特別功労名誉教授(撮影/大野和基)
ジョセフ・ナイ(Joseph Samuel Nye Jr.)/1937年、米ニュージャージー州出身。国際政治学者。米国防次官補(国際安全保障担当)、ハーバード大学ケネディスクール学長などを歴任。現在、ハーバード大学特別功労名誉教授(撮影/大野和基)
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 かつて米国を支持する立場だったロシアのプーチン大統領。西側諸国への態度を一変させたきっかけとは何か。そして、日本の米軍基地問題の解決するための提案とは──。知日派として知られる国際政治学者、ジョセフ・ナイ氏が語った。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。

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 冷戦後のロシアには市場経済と民主主義社会が生まれるという希望がありました。しかしロシアは共産主義下のあまりにも長い間、計画経済を実施してきたため、そう簡単に市場経済に切り替えることができず、不可能であることがわかったのです。それを切り替えようとするプロセスでとてつもない腐敗が起き、いわゆるオリガルヒが産業全体を掌握したのです。腐敗と格差があり、経済が貧しいと民主主義を発展させることは非常に難しいのです。

 ゴルバチョフは「新思考」にきわめて真剣でしたが、彼の問題は経済をうまく動かすことができなかったことです。安定したロシアへ発展させることができませんでした。エリツィン政権初期は、首相代行がガイダルで外相がコズイレフだったので改革派である彼らが新たな政策を探っていた点でわれわれにとってとても心強い時期でした。しかし国内では急激な価格自由化によりハイパーインフレが起き、経済の安定にはほど遠かった。政権後期になるとエリツィンは肉体的にも政治的にも弱り、プーチンにバトンタッチすると彼はKGB高官という出自をひけらかし、新思考を取り入れることはなかったのです。

 プーチンは、01年9月11日の米同時多発テロ後にはアメリカを支持する立場でしたが、07年2月、ミュンヘン安全保障会議でそれまでの西側への順応的な態度を一変させ、反西側の見方を表明しました。これは04年ごろ起きたカラー革命(東欧や中央アジアの旧共産圏で民主化を掲げて起こった一連の政権交代)に、プーチンが恐怖を感じたことが原因だと言う人もいます。だからウクライナがより民主主義的な政府になればその影響がロシアに波及し、ロシアでのプーチン支配が弱体化するかもしれないと感じたのです。プーチンは民主的なロシアに全く関心がないのでしょう。

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