相続で想像外のトラブルや支障が起きることも少なくない。タレント・松本明子さんも実家の相続で思わぬ事態に発展した。松本さんに経験談とアドバイスを聞いた。AERA 2023年5月22日号の記事を紹介する。
* * *
「明子、実家を頼む」
死の床でこう言い残して逝った父親。
「この言葉が肩にずっしり重くのしかかっていました」
タレントの松本明子さんはしみじみと実家を手放す決断の難しさを振り返った。
松本さんが歌手デビューしたのは1983年。デビューから10年近く経ち、バラエティー番組で人気に火が付いた。「これでやっと親孝行ができる」。香川県の両親を東京に呼び、3人暮らしをスタートした。当時は実家を処分することは全く考えていなかったという。
「両親はいずれ四国に戻ることを考えていたと思いますし、浮き沈みの激しい芸能界で娘のために実家を置いといてやれば安心できる、という考えもあったと思います」
父親には生涯かけて働いたお金で建てたマイホームへの思いも強かった。松本さんには10歳上の兄がいるが、父親は松本さんに実家を相続してもらいたいと考え、遺言状も残していた。このことは兄も承諾しており、相続でもめることはなかった。ところが思わぬ、「負債」を背負うことになる。
父親は松本さんが37歳の時、74歳で亡くなった。その4年後の2007年に母親も他界した。その後、実家の価値は建物がゼロ、土地のみで「200万円」と査定された。松本さんは実家のリフォームに取り掛かる。東日本大震災を経験し、東京に住めなくなった時に移住先を確保しておこうと考えたのだ。
■自分が片付けなきゃ
リフォーム代は計600万円かかった。だが、仕事や生活の中心は東京のまま。結局、「移住」は幻になる。親族から「本腰を入れて処分を考えた方がいい」と言われ、東京で生まれ育った息子も香川に住む動機は芽生えず、これ以上、実家をキープしておく意味はないと判断した。