
1982年を迎えるとすぐ、エリック・クラプトンはミネソタ州の更生施設に向かい、アルコール依存症の治療を受けている。もちろん、これですぐ完全克服となったわけではないが、なんとか体調が回復すると、ツアーを再開。6月はほぼ連日のペースで全米各地を回っている。そしてそのあと、新たに設立した自身のレーベル、ダック・レコード(ディストリビューションはワーナー・ブラザーズ)からの初リリース作品を録音するため、トム・ダウドやゲイリー・ブルッカーらとコンパス・ポイントに向かったのだった。
しかし、再出発を意識したセッションであったにもかかわらず、そこからは大きな音楽的成果を得ることができなかったらしい。「少しくらいなら」と、ブルッカーらと飲んでしまうこともまだあったのだろう。結局、トム・ダウドからの厳しい指摘とアドバイスを受けて、クラプトンは、アルバート・リー以外のイギリス人ミュージシャンを解雇。3人の超実力派アメリカ人ミュージシャン、ロジャー・ホウキンス(マッスルショールズ・リズム・セクション)、ドナルド・ダック・ダン(MGs)、ライ・クーダーを迎えてレコーディングを仕切り直した。リーは主にキーボードを任されたが、いずれにしても、それぞれに個性や方向性の異なる3人のギタリストが顔を揃えるという、それまでのクラプトンのキャリアになかったタイプのアルバム制作が、こうしてスタートした。
1983年2月にリリースされたダック・レコード第1弾のタイトルは『マネー・アンド・シガレッツ』。スーツを着て、右手に煙草を持ったクラプトンの隣では、アイロン台のようなものの上に乗せられたストラトキャスターのボディが溶けかかっている。ダリを彷彿させるそのジャケットのコンセプトは、クラプトン自身とパティが練ったものだという。
クラプトンのオリジナルは、アコースティック・ギターの美しいソロを聞かせる《プリティ・ガール》など6曲。ほかに、トミー・マクレナンやアルバート・キングらのヴァージョンで知られる《クロスカット・ソウ》、ジョニー・オーティスの《クレイジー・カントリー・ホップ》などを収めたこのアルバム、彼自身はクーダーらと仕上げたルーツ色の強いサウンドに手応えを感じていたはずだが、大手のワーナーが満足するほどのヒットには至らなかった。それが原因で、さらには、時代や音楽トレンドの劇的な変化も重なり、クラプトンの創作活動はさまざまな横槍を受けることとなる。[次回2/18(水)更新予定]