表紙コンクールの賑わいを伝える誌面。読者招待のコンクール抽選大会には、丹羽文雄、徳川夢声、吉川英治をゲストに迎えた
表紙コンクールの賑わいを伝える誌面。読者招待のコンクール抽選大会には、丹羽文雄、徳川夢声、吉川英治をゲストに迎えた

 そんな読者の熱意に応えて、編集部も吉川英治の講演や宝塚歌劇団のステージなど、豪華なプログラムを用意した。賞品はテレビやミシンや化粧品を取り揃え、賞金も、銀行の初任給が6千円の時代に1等賞金10万円という大盤振る舞いだった。

 しかし、皆さんのお目当ては、やはり原画プレゼント。同年6月15日号に掲載された抽選会のレポートは、コンクール1位に輝いた向井潤吉をはじめとする画家の原画が当たった人たちの喜びの声にあふれている。

<原画をいただいたらそれに盛られた清い愛情をお手本に、子供を見守り育ててゆきたいと思います><杉本(健吉)さんの絵など、私たち庶民には一生持てないものだと思っていましたのに、頂いたら生涯の記念に大切にしたいと思います><何よりの部屋のかざりが出来ました。大事にします><どこへ掛けようかしら?>……賞金10万円が当たった24歳の会社員サンでさえ、<装飾品一つない部屋なので、原画が当って壁に飾れたらなァと思っていました>と、原画のほうに未練たらたらなのだった。

1952年2月10日号の表紙。東山魁夷による「雪国の子供」
1952年2月10日号の表紙。東山魁夷による「雪国の子供」

 1952年5月。ちょうど1カ月前にサンフランシスコ条約が発効して、戦後ニッポンは、ようやく主権を回復したばかりである。そんな時代に、一枚の絵を「茶の間」に飾ることにささやかな贅沢と幸せとを感じていた人びとが、「週刊朝日」を愛読し、支えていた。

 そのことを、「週刊朝日」は、もっともっと誇っていい。ウェブサイトのページビューの数字では決して語れない大切なものが、そこには確かにあったはずだと──少々センチメンタルになりながらも、僕は思うのだ。

 読者参加型の企画から、「プロ」が巣立つことも少なくない。たとえば篠山紀信さんの『女子大生表紙シリーズ』からは宮崎美子さんが世に出たし、松本清張のデビュー作『西郷札』も、1950(昭和25)年の『百万人の小説』に応募したものだった。

 しかし、その真骨頂は、やはり「アマチュア」ゆえの、怖いもの知らずで破天荒な力強さだろう。

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