『エレキの若大将』 [DVD]
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『グレイテスト・ヒッツ ~アビーロード・スタジオ・マスタリング』加山雄三
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『赤ひげ』 [ブルーレイ]
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「第73回 わたしを『ゴジラ』に連れてって!~伊福部昭の世界~」でも少し書いたのだが、わたしは1960年代に東宝の怪獣映画「ゴジラシリーズ」「フランケンシュタインもの」が大好きで、親に何本か観に連れていってもらった。その頃の東宝怪獣映画は、加山雄三の「若大将シリーズ」と併映のことが多かった。はじめの頃は、怪獣映画を早く観たくて、「若大将」が上映されてるあいだ、椅子の上で、ひっくり返ったりしてぐずっていたものだ。
 今になっても、どうして怪獣映画と若大将が併映されていたのかよくわからないところがある。ターゲットが違いすぎるような気がするのだが。いや、まてよ、怪獣映画を観に来たこどもに、少し背伸びをさせて、大人の世界を見せるという手だったのかも知れない。その手に乗って、ぼくのような、こんな大人ができあがったということか。

 この頃の自分のことを思い出すと、ひとつ、情けない思い出がある。
 小学校に入った頃だと思うのだが、学校に上がったのだからということで、父が八畳の居間の隣に三畳の板の間を建て増しし、その部屋に備え付けの机を作ってくれた。板の間とは、今のフローリングのことだ。
 当時の我が家は、大正時代に建てられた木造2階建ての家で、雨戸を閉めなければ、外気を遮るのは障子1枚という家だった。すきま風の入る部屋で、はんてんを着て、練炭炬燵に入るという生活だった。

 新しくできた板の間には、ガラス戸が入って、裏庭が見えるようになった。
 日曜大工が得意の父は、3畳間の短い一辺いっぱいに大きな板をわたし、左右の長さが1.8メートルくらいある大きな机を作ってくれた。その机は水色に塗られ、父は「どうだ」と言って、満足そうであった。

 しかし、わたしはその机があまり好きではなかった。どうしてかはわからない。
 その頃、我が家は下宿屋もやっていたのだが、わたしが大学生のお兄ちゃんがシンナー吸っていたと報告したのをきっかけに(母はそんな説明はわたしにしなかったが)、下宿人を置くのをやめてしまった。そして、その空いた部屋が、新しいこども部屋としてわたしにあてがわれた。それまで両親と一緒に眠っていたわたしは、独りで眠ることになったわけだ。後になって、わたしがはじめてこども部屋に移った日の夜、母は泣いたのだと大人になったわたしに語った。

 そして、新しいこども部屋には、そのころ流行の本棚や蛍光灯や大きさの違った引き出しなど、たくさんの装備がついたスティール製の机が入れられた。東京に出てくるまで、わたしはその机で勉強した。
 その買ってもらった机が部屋に届いたとき、父は「こっちの机の方がよいのか?」とわたしにきいた。わたしが、ためらいながらも「うん」というと、少し哀しそうな顔をした。
 今になって思えば、そのスティール製の机より、父の作ってくれた水色の机の方がどれだけすばらしいか、考えるまでもないのだが。もしも過去に行ってその頃の自分に会えるのなら、人生において、なにが大切なのか教えてあげたいくらいだ。

 最近テレビで「若大将シリーズ」の映画を放映していたこともあって、何本か観なおす機会ができた。
 観ていて気づいたのだが、そこに出てくる登場人物たちが、まるで昔の友達や家族に会ったような気分にしてくれるのだ。若大将の家である老舗のすき焼き屋「田能久」(たのきゅう)の人たち、青大将をはじめとする学友たち、そして、星由里子と若大将を囲む女性たち。そのなかでわたしは、青大将とおばあちゃんがとりわけ好きだ。特に『エレキの若大将』のときの飯田蝶子演じるおばあちゃんのゴーゴーダンスは最高だ! う~ん、ほんとうは、星由里子の魅力の方がほうが素敵だろうか。

 小学生だったわたしには、おにいちゃんやおねえちゃんの世界であった。そして、わたしの青春ともだいぶ違う印象だと思っていたが、今回調べてわかったのは、加山雄三が生まれたのは1937年。わたしとの年の差は21歳。おにいちゃんというより、お父さんといってもよいくらいの差なのであるから、印象が異なるのも当然だ。

 加山雄三は、「若大将シリーズ」だけでなく、たくさんの映画に出演している。そのなかでわたしの好きな映画は、黒澤明監督の『椿三十郎』と『赤ひげ』だ。
『椿三十郎』が1962年、『赤ひげ』が65年の封切りだから、『銀座の若大将』62年、『日本一の若大将』62年、『ハワイの若大将』63年、『海の若大将』65年、『エレキの若大将』65年などと平行して撮影されていたことになる。

 特に『赤ひげ』は、黒澤にとって最後の白黒映画であり、話の内容に加えて、画像の美しさは、白黒映画の頂点のひとつといってよいだろう。
 加山演じる新米医師が、三船敏郎が演じる赤ひげの元で成長していく姿を描いたこの映画は、もうひとつの青春映画といってもよいだろう。加山はよい俳優だと思う。まだ観ていない方には、ぜひオススメする。

 そして最後は加山の歌だ。
「若大将シリーズ」の映画の中でもよく歌う場面がでてくるが、これらの楽曲の多くが、加山雄三の自作自演であるというのに驚く。加山こそが、日本のシンガーソングライターの草分けではないだろうか。

 ちょうどベンチャーズによるエレキ・ブームとも重なり、『エレキの若大将』という映画もつくられている。(一応説明しておくが、エレキとはエレキ・ギターのことだ)
 ただ、作曲は加山雄三ではなく、弾厚作というペンネームで発表されている。この名は、團伊玖磨と山田耕筰を組み合わせて作った名前だという。

 長い人生の中で、ホテル業で失敗するなどの挫折もあったはずだが、77歳の今でも元気に活躍しているのは素晴らしい。

 最近は、テレビ番組『若大将のゆうゆう散歩』でその姿を見かける。
 2014年9月よりはじまった全国47都道府県コンサートツアーが、加山自身最後の全国ツアーになると発表している。あなたの県にも、加山雄三はやってくる。[次回2/18(水)更新予定]

■公演情報はこちら
http://www.kayamayuzo.com/special/finalhallconcert/