2012年5月に19歳で日本代表デビューを果たしたが、同年11月に右足首靱帯を損傷すると2013年3月に同箇所を手術。2015年7月に左膝前十字靱帯断裂、2017年6月に右膝前十字靱帯断裂で、欧州時代に計3度の手術を経験し、才能に相応しいキャリアを歩めなかった。これを「不運」で片付けることは簡単だが、肉体的に完成する前に大柄な外国人と対峙する必要があった点、食事・日常生活面での負担が体に及ぼした影響、雨が降ればぬかるむ欧州の芝など、日本ではなかったかもしれない怪我に繋がるファクターがあったことも確か。「高校からJリーグ入りしていた場合はどうなっていたのか?」の問いは、頭から離れない。

 彼ら2人とは少し状況が異なるが、指宿洋史もそうだ。柏レイソルの下部組織で育つもトップ昇格は果たせずにプレー先を探す中で、スペイン2部のジローナの入団テストを経て契約を交わした。だが、2部では結果を残せず。4部のレアル・サラゴサB、3部のサバテルでゴールを量産し、2011年7月には1部のセビージャ入団を果たしたが、リーグ戦1試合に出場したのみでベルギー2部へのレンタルを挟み再び3部へ。2014年7月にJリーグに“逆輸入”される形となった。スペインの地で逞しくプレーを続けた中で得た経験は大きかったが、成功したかと言われれば「否」だ。

 木下康介もユースから直接、海外移籍を果たした。2011年、12年のクラブユース得点王で、U-19日本代表も選ばれていた身長190センチの長身ストライカー。横浜FCユース在籍時から海外挑戦を熱望し、その希望通りにフライブルクと契約を交わしたが、単身で渡ったドイツの地では結果を出せず。2018年にスウェーデンリーグで13得点をマークしたが、9年間の欧州リーグ戦通算22得点は期待値を大きく下回るものだった。28歳となった今季は、J1の京都で奮闘しているだけに、仮にユースから横浜FCにトップ昇格していれば、今頃は横浜の地で“生え抜きエース“の肩書きを得ていたかも知れない。

 その他、専修大からケルン(ドイツ)に入団した長澤和輝は、加入初年度こそ存在感を見せたが、2年目以降は故障にも泣いて信頼を掴めず、3シーズンで21試合に出場した後に2016年からJリーグでプレーしている。また、流通経済大4年時の夏に大学を休学してシントトロイデン(ベルギー)に入団した小池裕太は、出番がないまま半年で帰国。早稲田大からインゴルシュタット(ドイツ)に加入した渡邊凌磨も、トップチーム未出場のままJリーグへ“出戻り入団”することになっている。

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直近で直接海外の2人は活躍できるか