横尾忠則
横尾忠則
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 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「寒山拾得」について。

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 嵐山光三郎さんが「コンセント抜いたか」(「週刊朝日」連載コラム)で<YOKOO・寒山拾得>について触れておられます。お寺の境内いっぱいに拡げた紙に巨大なダルマの絵を公開制作した葛飾北斎についで僕は2人目の公開制作者だと自慢したら、篠原有司男が屋外でボクサーまがいの格好で、筆こそ使わないがグローブに絵の具をつけて、画面に叩き描きをしていたという嵐山さんの報告で、僕は3番手の公開制作者になりました。さらに想い出すと、その昔、草月会館でロバート・ラウシェンバーグの公開制作を見物したことを突然想い出してしまって、僕は4番手に順位が下がってしまいました。と考えると、北斎と僕の間にも実は知らないだけで、公開制作者は世界にウジャウジャいるに違いないことを思い知らされたので、今回は話題を寒山拾得に振ることにしましょう。

 実はこの9月に東京国立博物館で寒山拾得を百点描いて、「寒山百得」展と題した個展を開催することになりました。寒山拾得については森鴎外の同名の短篇小説が有名ですが、この2人の風狂の禅僧の存在は不確かで架空の人物では? とさえ言われています。いろいろ調べてみましたが実在の人物としてはどうも怪しく、この2人は理念ではないかと僕は思っているのです。あるいは豊干という唐の時代の禅僧が、こんなハチャメチャな自由人がいれば面白いだろうなあと想像して書いた彼の創作理念ではないのかとも考えています。まあ、ここではどっちでもいいことにしておきましょう。

「拾得」という名の中に数字を発見した僕は、じゃ、拾を百にして、「百得」にして、百枚の寒山拾得を描いてみようということで、体力のない体に負荷をかけることにしました。一番脂の乗っていた50~60代でさえ1年に35点なのに86歳で百点に挑戦は無謀であることはわかっていますが、寒山拾得を理念だと思えば人智を越えるくらいのことは朝メシ前、アーティストを捨てて百刀流のアスリートになって、一人百様式で、一個人を複数の普遍の個になって、何しろわが文化国家の理念に徹すれば不可能は超越できる、とかなんとか寝言を言いながら、その間、急性心筋梗塞を患った上に、老体にムチを打って、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式で、やってみたのです。すると展覧会まで9カ月を残して、実は1年で百点描けてしまったのです。

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