人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「選挙」について。
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統一地方選の後半戦が終わった。相変わらず投票率が低く、たしか、市町村議選と町村長選では今までで最低だったとか。
各党別に見れば、維新の躍進が目立つ。特に保守王国の和歌山での衆院補欠選挙で女性の新人が当選。これで奈良県知事に続いて勢力を伸ばした。
私は、大阪で十年近く過ごしたことがあるが、奈良・和歌山は文化や経済圏は大阪に近い。
京都や神戸は独立した感じがするが、奈良や和歌山で維新が増えることに違和感はない。
維新の良さは、言葉がわかること。日常語なので、永田町言葉のようなよそよそしさがない。
次に数からいえばまだまだだが、女性が増えたこと。東京でも区長に女性3人が当選し、区議でも予想以上に増えた。生活目線の政治を欲している人々の数が多くなっているからだろう。
政治を身近なものと感じたい人々が、社会の変化を求めている証拠でもある。投票日に投票所へ行くと、若い人の姿が多かった。カップルや子供連れ、お年寄りの手を引く姿も目立った。
まだまだ捨てたものではない。自ら立候補という形で政治に参加しようという知人女性もいる。その芽を摘んではいけない。政治に関心を持って、自分も社会を構成する一員としての責任を果たしたいという若者の希望に応えられる社会であって欲しい。
なぜこんなことを言うかといえば、今回の選挙戦、和歌山の漁港で岸田首相に手製とみられる爆弾を投げつけた男は、実によく選挙制度を勉強していた。
昨年の参院選に自ら立候補を試みたが、被選挙権の年齢に達していないこと、三百万円の供託金が必要なことで断念したという。政治に関心を持ってもそれを表現出来ない焦立(いらだ)ちが感じられる。
安倍元首相の国葬に世論の多くが反対しても、閣議決定という、声の届かぬ所で物事が決まっていくことへの怒り。私たち庶民の抱く感情とそれほどかけ離れていない。