
1974年6月にスタートしたエリック・クラプトンの復活ツアーは、同年秋に実現した初来日公演のあと、翌年、ふたたび全米各地を回り、2回目の来日公演(10月22日から11月2日にかけて、計7回)で幕を閉じた。この間に彼はミュージシャン/シンガー/バンド・リーダーとしての自信と感覚を完全に取り戻し、また、ジョージ・ハリスンのもとを去ったパティと行動をともにするようになっている。その一方で、なんとか断ち切ったドラッグに代わって、アルコールの問題が深刻になっていった。依存という意識はなかったのかもしれないが、24時間、酒が抜けることがなく、1日にブランデーを3本などということも珍しくなかったそうだ。
この時期、マーシー・レヴィも正式に加わったエリック・クラプトン&ヒズ・バンドはジャマイカのダイナミック・サウンド・スタジオとマイアミのクライテリアでアルバムのレコーディングを行なっている。ソロ通算3作目、復活第2弾となる『ゼアズ・ワン・イン・エヴリ・クラウド』だ。プロデュースを依頼したのは、『461オーシャン・ブールヴァード』につづいて、トム・ダウド。
前半は、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの《ウィヴ・ビーン・トールド》、トラディショナルの《スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット》、タルサ系のミュージシャン、ジミー・バイフィールドの《リトル・レイチェル》、エルモア・ジェイムスの《ザ・スカイ・イズ・クライング》など、カヴァーが中心で、しかもその大半でリゲエのリズムが採用されている。ジョージ・テリーと共作した《ドント・ブレイム・ミー》もほぼ完璧なレゲエだ。ただしこの流れは、《アイ・ショット・ザ・シェリフ》がヒットしたからといった単純な理由からではなく、あの独特のグルーヴが当時のエリックの心境にあっていたから、ということなのだろう。
後半は、クラプトンのオリジナルで、いずれもゆったりとしたテンポの、じっくりと聞かせるタイプの曲がつづく。最後の《オポジッツ》は《レット・イット・グロウ》の続編といってもいいだろう。ナイロン弦のギターを弾きながら歌う《プリティ・ブルー・アイズ》は、90年代の一連のヒット曲の予告編のようにも聞こえる。
タイトルの『ゼアズ・ワン・イン・エヴリ・クラウド』は、まだ「神」と呼ばれてしまうことへの洒落の効いた皮肉だったらしい。発表と前後して30回目の誕生日を迎えたクラプトンは、関係者やファンに向けて、彼らしいやり方で意思を伝えようとしていた。[次回12/24(水)更新予定]