この秋放送が始まったNHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルは、明治中期に生まれた竹鶴政孝で、国産ウイスキーづくりの第一人者だ。単身スコットランドで学び、国際結婚をへて帰国し、北海道余市町に後のニッカウヰスキーとなる大日本果汁株式会社を設立した。番組のウイスキー考証を担当するウイスキーライターが、彼の生涯や、スコッチウイスキーの製造方法を書きしるした『竹鶴ノート』、そして竹鶴の養子となった威氏の証言から、その人物像を浮かび上がらせる。
竹鶴は鷲鼻のせいか、スコットランドではよくスペイン人に間違えられた。毎晩一本、晩年はその半量のウイスキーを、入院時も医者からの許可を得て空けていた。安い〈ハイニッカ〉を好んだが、のちに余市と仙台・宮城峡の二つのモルトウイスキー、そしてカフェグレーンの三つをブレンドした〈ノースランド〉を飲んでそのうまさに驚嘆。「世間の人は、わしが高いウイスキーを飲んでいると思っているかもしれんが、いちばん売れているものを飲むんじゃ」とあっさりと鞍替え。エピソードも楽しい。
※週刊朝日 2014年10月24日号