『KING OF THE DELTA BLUES SINGERS』ROBERT JOHNSON
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 すでに書いてきたとおり、クラプトンは、兄=叔父の影響で幼いころからアメリカ音楽に触れていた。その後、ちょうど思春期を迎えたころ、ロックンロールやロカビリーを知った彼は、ギターにも興味を持つようになり、なにかに導かれるようにして、すべての原点としてのブルースと出会っている。「はじめてブルースを聴いた時の気持ちを説明するのは難しいけれど、ともかくブルースは、その瞬間、私のなかに入りこんでいた。まるで、前世で出会っていたなにかに再会したような気分だった。本質的な部分で私の心に響くなにかを持っていた」。自叙伝『クラプトン』(2007年)のなかでは、そんなふうにブルースとの関係を語ってもいる。

 チャック・ベリー/ボ・ディドリーから、マディ・ウォーターズ/ハウリン・ウルフ、サン・ハウス/チャーリー・パットンへと、時代を遡るようにして彼はブルースへの興味と関心を深めていった。そして、アート・スクールでステンドグラスなどを学んでいた16歳のころ、彼はロバート・ジョンソンの音楽を聴きはじめている。

 20世紀前半のアメリカ南部を駆け抜けるように生きたブルースマン、ロバート・ジョンソン。36年と37年、2回のレコーディングで29曲41テイクを残し、27歳で謎の多い死を遂げた男。実の父を知らずに少年時代を過ごしたジョンソンと自分を重ねるような意識も、クラプトンにはあったようだ。のちに27歳前後の数年間を闇のなかで過ごしたことの背景にも、ジョンソンの存在があったに違いない。

 具体的には、1961年発売の初公式作品集『キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ』によって、彼はジョンソンの音楽を本格的に聴く機会を得た。クリームのヴァージョンによって広く知られることとなる《クロスロード・ブルース》、クラプトン初のヴォーカル作品となった《ランブリング・オン・マイ・マインド》、畏れのようなものすら感じたという《ミー・アンド・ザ・デヴル・ブルース》、《ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル》などによって、彼はジョンソンの世界に深く、深く、引きずりこまれていく。もう、あと戻りはできなかった。「ジョンソンのことを知らない人とは話もしたくない」と思うほどのレベルでのめりこんでいったというのだ。

 ロバート・ジョンソンの作品に関しては、すでにローリング・ストーンズのヴァージョンによってスタンダード化していた《ラヴ・イン・ヴェイン》を含む『キング~』第二集が70年、29曲41テイクのすべてを収めたCD2枚組みボックス・セット『ザ・コンプリート・レコーディングス』が90年にリリースされている。時代背景も含めてロバート・ジョンソンというブルースマンの全体像をつかむにはその2枚組セットがいいと思うが、16歳のクラプトンが受けた衝撃を疑似体験したいという方には『キング~』第一集をお薦めする。[次回6/11(水)更新予定]

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