12年の歳月が過ぎるなかで、東日本大震災に関わる資料は、自治体や研究施設など多くの場所で残されてきた。そうした記録を活用しようとする動きが進んでいる。そのうちのひとつが、「3.11定点撮影プロジェクト」だ。
【震災の記憶を後世につなぐ。定点撮影した宮城県気仙沼市の様子はこちら】
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「震災の記憶」の継承を担うのは、自治体や大学だけにとどまらない。
「3.11オモイデアーカイブ」は、仙台を中心に活動する市民団体。約40人が所属し、震災資料の収集や保存、活用を通じて「震災の記憶」を後世に伝えることを目指す。仙台の映像資料を残すことを目的としたNPO法人「20世紀アーカイブ仙台」の震災アーカイブ部門が前身で、16年4月に独立した。
震災の11日後から、ツイッターで被災者から写真の提供を呼びかけ、資料の収集を続けてきた。これだけ迅速に動き出したのには、ある理由があった。主宰者の佐藤正実さんは言う。
「阪神・淡路大震災のときは発災直後に記録を収集できず、貴重な記録が失われてしまったそうなんです。偶然そのことを知っていて、東日本大震災が起こったときも『いま集めないと手遅れになる』という危機感が頭にありました」
東日本大震災関連のデジタルアーカイブが立ち上がり、資料の収集は進んでいった。しかし、佐藤さんは「アーカイブがもてはやされすぎていた」と事態を冷静に見つめていた。
「本来は、集めた資料をどう活用するかを考えることも重要なはず。なのに、その視点が欠けているように感じたんです」
収集した資料を活用しようとオモイデアーカイブが始めた事業の一つが、「3.11定点撮影プロジェクト」だ。
このプロジェクトでは、震災後から現在まで、変わっていく街の風景を撮影し続けてきた。撮影地は宮城県内全域の600地点を数える。
そのベースになっているのは、震災直後に市民から提供された写真だ。震災直後から資料を集めていたことで結実したプロジェクトといえる。
佐藤さんは、定点撮影の魅力を「いつでも誰でも関わることができる」と話す。