政治について語ることとはどういうことか。党の分裂がどうの、不正資金がどうの、小沢が――猪瀬が――江田が――という些末な雑事を考えることではなく、これから何を食べるのかを考えることのほうが、よっぽど政治について考えることになるのではないか。それが、この本のスタート地点です。
すみません、他人の名言をパクリました。「どう食べるかは政治的なこと」と言ったのは、アリス・ウォータースというアメリカのオーガニック界でもっとも有名な女性です。深いようで、ちょっと意味不明、わかるような、わからないような微妙な名言です。
アリスは、オーガニックレストランの経営者です。彼女のレストランは、地元の農家が育てた有機食材を使った料理を提供します。彼女は、それだけをもって政治的な存在になり得ています。
それはどういうことなのか。大規模農業の手法で作られた食材が、大規模工場で加工され、全米を覆うハイウェイ網で運ばれ、大規模チェーンのスーパーで販売される。大量生産の生産様式、モータリゼーション、そして、大規模な小売チェーン。これら、もっともアメリカ的な「様式」にノーを突きつけたアリスは、アメリカでは反体制的な存在になってしまいました。
僕の定義では、アリス・ウォータースは、「フード左翼」になります。彼女の政治的立ち位置は、反グローバリゼーション(=地産地消)、反大規模農業、反モンサント(=遺伝子組み換え食品の否定)といったものになります。
現代における「左派」の存在を考える上で、食についての立場や考え方というものを踏まえてみると、とてもよく理解できるのではないでしょうか。
そして「フード右翼」。彼らが「フード左翼」の対抗勢力だとすると、それは大規模農業や大規模流通、食の産業化に従順な人たちということになるでしょう。世界の縮図は、食で二分できるのです。
いま、世界で一番オーガニックに夢中なのはロンドン市民です。ここ15年のロンドンは、世界の金融センターとしてバブルを謳歌する都市でしたが、リーマンショック以後、その地位は揺らぎ、反動としての「反消費社会」的な流れが生まれていると、ハイパーメディアクリエイターの高城剛が言っています。
さらに、いまどきのロンドンでもっとも反社会的な行為は、路上で新鮮な野菜を売ることなんだそうです。かつて、サッチャー政権時代のロンドンでは、セックスピストルズのようなパンクが、もっとも反社会的な存在でしたが、パンクよりもオーガニック食材の方が反体制的だというのは、とても現代的です。
本書は、そんな時代の日本における食をめぐる政治意識の分析を行ったものです。ただ、本書は書いているうちに、思いもかけず「政治思想史」の本になってしまった感があります。「フード左翼」の歴史についての考察が、思いの外多くなったからです。
食の世界における分岐点は1970年頃です。
つまり、それまで元気だった学生運動やヒッピーといった若者たちの革命運動がこの頃に収束の方向に向かいます。一方で、彼らは消費者運動や自給自足などの方向に向かいました。つまり食の世界での「革命」に流れたのです。
その代表は、歌手の加藤登紀子さんの夫で、社会運動家の故・藤本敏夫氏でしょうか。政治運動を経た彼は、「大地を守る会」の会長となり、のちに千葉で自然農場を手がけるようになります。
そう、現在の「オーガニック」の台頭は、かつての学生運動の延長線上で成就したものです。「スローフード運動」は、それのヨーロッパ版です。アリスのレストランの登場も、70年代のことでした。
本書は、堅苦しくなくて身近な現代の政治思想史を書く、という試みの下で書かれたものです。ちなみに僕は、ショッピングモールやCMソングなど主に消費社会についての本を書いてきました。政治の専門家ではありません。
今度の本もあくまで「消費」としての「政治」の本です。「フード左翼」は、「社会運動」によって、食の理想社会をつくる存在というよりは、「消費」によってそれを実現しようとする人たちのことを指しています。
これについては、現代が「消費」の意味が大きく変わりつつある時代であるということを前提としています。そして、「食と消費」について考えることは、政治選択と消費行動が近接する時代について考えることでもあるのです。
あなたは「フード左翼」? 「フード右翼」?