敗戦後間もない1948年。被爆地広島の一画に高木俊介・彬子夫妻は「タカキのパン」の幟(のぼり)を高く掲げ、開業した。統制下、リヤカーを引き原材料を調達しレンガの窯(かま)で焼く。夫妻には理想があった。商品は食糧難の時代のひとびとの空腹を満たすだけのものであってはならない。おいしいパンを作り日本の生活文化としてパン食を普及定着させること。
 研究と工夫を重ねて65年。創業当時4人だった従業員は今や8千人に。殊にペストリー分野の魁(さきがけ)であると同時に先頭を走り続けた「アンデルセン」グループの軌跡を本書は伝えるが、通り一遍の社史ではない。
 職人、技術者、営業、販売担当者に学習の機会を開き本場の本物を見せて育て、と教育者の顔を併せ持つ俊介(2001年没)・彬子。製法にまつわる特許を得ても独占せずに業界全体の底上げに供する2人の理想主義に寄せる共感だろう、著者はここで、戦後食文化史の開拓者への賛歌を謳うのだ。瞬く間に富と名声を手にしたネット社会の起業家の成功譚には多分望むべくもない、人間の気配、人肌の温もりがある。

週刊朝日 2013年9月27日号

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