東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故から丸2年。菅直人『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』は当時の最高責任者が、3月11日から18日までの動きを中心に綴った手記である。
 この間、官邸で何が起こっていたかは、すでに木村英昭『官邸の一〇〇時間』(岩波書店)や、当時の官房副長官による福山哲郎『原発危機 官邸からの証言』(ちくま新書)でかなり明らかになっている。そこから浮かび上がるのは、報道で伝えられた「無能なイラ菅」とはいささか違ったイメージだ。批判を浴びた「官邸の過剰な介入」がなかったら、事態はもっと悪化していただろう。
 で、本書。事実関係については先の2冊とほぼ同じだが、印象的なのは事態を彼がたびたび戦争にたとえている点だ。〈誰も望んだわけではないが、もはや戦争だった。原子炉との戦いだ。放射能との戦いなのだ。日本は放射能という見えない敵に占領されようとしていた〉。そして彼は苦悩する。戦後日本は「国のために死ぬ」ことを否定してきたが、この状況で撤退はない。決死の作業を自分は命令できるのか。
 事故への備えが皆無の中で、それでも最悪のシナリオ(とは全原発が制御不能となり、5千万人の避難が必要となる事態を指す)が避けられたのは〈幸運だったとしか言いようがない〉とも。だから次も大丈夫と考えるのは〈元寇の時に神風が吹いて助かったから太平洋戦争も負けないと考えていた軍部の一部と同じだ。神風を信じることはできない〉。
 政権末期の菅直人が浜岡原発の停止と玄海原発の再稼働中止に強くこだわり、脱原発への舵を切ろうとしたのは、この体験ゆえだったろう。まさに脱原発を標榜したゆえ、彼は首相の座から追い落とされた(のだと思う)。
 菅直人は敗軍の将である。が、誰がやっても敗軍の将にならざるを得ないのが「原子炉との戦い」だ。相変わらず神風を信じている人がいっぱいのこの国って何だろうと思う。

週刊朝日 2013年3月15日号

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