上野を発つ時、私ははしゃいで限定のパンダ弁当を買った。ササまで入っていて、とても可愛くてにこにこしてそれを平らげた。帰りは高崎でだるま弁当を買おうとも心に決めていたはずなのに......。
女流作家は悲恋旅行をなぜするのだろう。岡本かの子さんは49歳の時、若い学生と油壷に密会旅行をし、その地で脳溢血で倒れた。一緒にいた男はその場から姿を消したという。
林芙美子さんは28歳の時に、パリまで好きな男を追いかけていった。それなのにモノを投げつけられるほど嫌われ、異国の地で涙にくれたという。
そして今回、40歳の私は、帰りの電車の中で、何も口にすることができず、唇をきつく結んでいた。訪れた地は伊香保。やはり好きな男を追いかけてのことだった。そして私の望んでいたような結果にはならなかったこともまた同じ。
高崎駅から車内販売員がだるま弁当を売り歩き始めた。900円だという。それなのに買えない。あんなに楽しみにしていたのに、食欲は全く出てこなかった。旅になど出なければよかった。お金も時間も使った、それなのに、私は何かを得るどころか失ってしまったのだ。
どうして一部の女流作家は男を追いかけてしまうんだろう。追われる恋のほうが幸せなはずなのに......。
上野駅に着いてもとても家に帰る気になれなくて、私は21歳のイケメンにメールした。『今からごはん食べない?』彼はすぐさま飛んで来てくれた。「いつでも呼び出していいんだよ」彼の優しさが身にしみた。
それでも心の渇きは癒されなくて、さらに私は20歳のイケメンと会った。その人は終電まで私に付き合い、低い声で、お気に入りの童話の話をしてくれた。どうしてみんな、私にこんなに優しいんだろう。はためから見れば私はかなりうらやましい人間かもしれない。でもどうして私の心の中には冷たいあの彼しか住むことができないんだろう。
きっといつかこんな体験も、小説になる。私は私にそう言い聞かせた。過去の女流作家さん達がそうだったように、私も、たくさんの虚しい思いを書いていくしかない宿命なのだろう、と書いて自分をなぐさめるこのごろなのです。