「最初、露出計はメーター表示にする予定だったのです。それがLED表示になり、最終的には液晶表示になった。F3はニコンでは初めての本格的な電子制御カメラでしたが、アナログ回路とデジタル回路が混在していて、とにかく複雑なんです。しかも、発売後にはF3AFというオートフォーカスのモデルも作ったし、個別の改造要求も相次ぎましたので、常にF3の電気回路に熟知している人間が必要でした。結局、22歳ごろから設計を初めて、46歳の部長時代まで担当し、2000年の生産終了まで見届けました」
F3の面倒を見るかたわら、後藤さんは開発リーダーとしてニコンF5の設計チームを率いた。それまで付属品であることが常識だったモータードライブとボディーを一体化した外観や操作系は、今日の最新機種にも受け継がれるほど画期的なものだった。
「このころ、本格的なAF時代に突入してライバル機種との大変な戦いになったのです。キヤノンEOS-1に奪われたシェアを奪還するために、F5は本当に必死の思いで作りました。目標の一つは秒間8コマの連写速度の達成でした。そのために意を決して、モータードライブを一体化したわけです」
96年に発売されたF5は当時のカメラ技術の結晶といえるもので、覇(は)を競い合ったキヤノンの技術者からも高く評価された。
ニコンDfと社内の壁
99年、ニコンは初のデジタル一眼レフD1を発売(富士フイルムと共同開発したニコンE2/E2sを除く)。カメラはフィルムからデジタルへと大きく変わっていった。
後藤さんはその後のDシリーズでも開発の旗を振ったが、最後に開発リーダーを務めたのは2013年に発売したニコンDfだった。デジタル一眼レフでありながらフィルムカメラを思わせるダイヤル操作系が大きな特徴である。
「これを作るのも大変でした」と、後藤さんは打ち明ける。立ちはだかったのは技術的な困難さではなく、社内の壁だった。
「一眼レフのラインアップがきちんと決まっているなかに、売れるかどうかわからない、しかもぜんぜん違う雰囲気のカメラを入れようとしたわけですから。そりゃあ、反対されますよ。でも最終的に『できるだけ部品を流用して、お金をかけないで作りますから』と、最上層に頼み込んだら、『それならいいだろう』という感じでOKを取りつけました」