民族問題もゴルバチョフ氏の弱点だった。ソ連の通信社は「ゴルバチョフは87年、演説で『ソ連に民族問題はない』と述べた」と伝えた。だが、そのころから、バルト諸国をはじめソ連を構成していた各共和国で民族主義が台頭。演説から4年後の91年、ソ連は15の国家に解体した。

 今でも、ソ連解体でロシアの威信が落ちたと考えるロシア人はプーチン氏に限らず少なくない。ゴルバチョフ氏は96年、政治に再チャレンジしようとロシア大統領選に出馬した。しかし、得票率はわずか0.5%で、当選したエリツィン氏の足元にも及ばなかった。

 ロシアの世論調査機関レバダセンターによると、プーチン大統領の支持率は今年8月、83%を記録した。プーチン氏はこれまで中東シリアなどで軍事介入を繰り返し、そのたびに支持率が跳ね上がった。戦争を手段とした「愛国主義」をロシアに根づかせ、今、その意識がウクライナ侵攻を支えている。

 ウクライナでの戦争で核兵器を使用し、第3次世界大戦の引き金を引く可能性のあるプーチン氏とは対照的に、ゴルバチョフ氏は「核戦争に勝者はいない」と宣言、米国との間で核軍縮を進めた。

 核戦争について、筆者はモスクワでロシア人の友人から「中学生の時、教室の壁に大きな世界地図がはってあり、アメリカから核兵器が飛んでくるコースが矢印で描かれていた。モスクワも標的だった。それを見て、いつか必ず核戦争が起き、自分は死ぬんだと思っていた」と聞かされた。日本の国会図書館で逆の地図(ソ連が西側諸国を攻撃する)を入手したこともあった。

 こうした体験もあって、米ソが核兵器を向け合い、いつ人類が滅亡してもおかしくない狂気の時代を終わらせたゴルバチョフ氏を「世界の救世主」のように筆者は感じていた。

 ただし、プーチン氏の登場までは、だ。得票率・支持率の「0.5」と「83」は、数字が逆ではないかと思えて仕方ない。

岡野直/1985年、朝日新聞社入社。プーシキン・ロシア語大学(モスクワ)に留学後、社会部で基地問題や自衛隊・米軍を取材。シンガポール特派員として東南アジアを担当した。2021年からフリーに。関心はロシア、観光、文学。全国通訳案内士(ロシア語)。共著に『自衛隊知られざる変容』(朝日新聞社)

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