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 ノーベル平和賞受賞者だが、ロシア国内での人気はゼロに近い――。8月30日に亡くなったゴルバチョフ元ソ連大統領について、評価は国内外で大きく割れている。9月3日の葬儀は、当初は“国葬”並みの扱いと報じられていたが、プーチン大統領も公務を理由に欠席し、静かな別れだったという。東西冷戦を終結させ、社会主義ソ連に終止符を打った指導者はどんな人物だったのか。ペレストロイカ最盛期のモスクワに留学していた岡野直氏が、当時の国内事情を振り返り、ゴルバチョフ氏の功罪を分析した。

【貴重】書類で顔を覆っているのは誰?1989年の新聞記事

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 ロシアのプーチン大統領はかつて、ゴルバチョフ氏が犯した「失敗」として「ソ連崩壊」(1991年)をあげ、ロシアメディアに次のように説明した。

「ソ連がばらばらになり、2千500万人のロシア人が一夜にして(ウクライナを含む旧ソ連構成国の)外国に取り残された。20世紀最大の悲劇の一つだ。医療制度が崩壊し、軍隊はガタガタになり、何百万人もの人が貧困線以下の生活になった」

 一方で「ゴルバチョフ氏の功績は、変革の必要性を感じ取り、(社会主義)体制を変えようと試みたことだ。だがそれは無理な話だった」とも述べた。(「ベドモスチ紙」2017年6月)

 ウクライナ侵攻を起こしたプーチン大統領にゴルバチョフ氏を批判する資格はあるまい。ゴルバチョフ体制は今のロシアよりはるかに自由だった。一方、プーチン氏はロシアをソ連とよく似た「全体主義体制」に先祖返りさせ、将来あるロシア人が多数亡命し、経済も崩壊に向かっている。

■週刊誌求めて街角のキオスクに行列

 市民も認めたゴルバチョフ氏の功績といえば、全体主義に「民主化」の風を吹き込んだことだ。彼以前のソ連は、言論の自由がなく、反体制派は弾圧され、アフガニスタンでの戦争が1979年以来延々と続いていた。

 89年11月、ロシア語紙「モスコフスキエ・ノーボスチ」が「ゴルバチョフの謎」というタイトルの評論記事を載せた。当時5年目を迎えていたゴルバチョフ氏の統治を総括して、その功績を「流刑中だった反体制派・サハロフ博士の帰還、アフガニスタンからの撤兵。そして何より、ほぼ検閲のない自由な言論」と数え上げた。

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