犯行当日は、車の運転役の組員と合流すると、田中容疑者はフルフェイスのヘルメットをかぶった格好で、盗んだ黒っぽい原付きバイクに乗り換えてビルに向かった。運転手役の組員も後を追い、少し離れた位置で待っていた。

 田中容疑者は犯行後、組員が運転する車に戻り、

「『終わりましたので引き上げましょうか、帰りましょうか』などと述べ、田中容疑者は原付きバイクのナンバープレートを取り外し、原付きバイクを遺棄した」。

 犯行から1カ月近くして、原付きバイクは発見された。

 以上が判決から追ったゼネコン銃撃事件の主な流れだ。

 一方の王将事件。

 事件が起きる前に、九州のナンバーの軽乗用車が、京都の現場付近まで何度か来ていることが確認されており、その軽乗用車は、田中容疑者が福岡県の知人から借りたことがわかっている。

 事件から2カ月ほど前に京都府内の住宅街で盗まれ、犯行に使われたと思われる原付きバイクが、問題の軽乗用車と並走していたシーンも防犯カメラの映像に残っていた。田中容疑者だけではなく、バイクを盗む役や、軽乗用車の運転手など複数の共犯者とみられる人物が下見をしていたとみられる。

 また、犯行前日には、田中容疑者が事件現場近くのコンビニエンスストアに立ち寄って、たばこを吸っていた様子も防犯カメラに映っていた。犯行後、原付きバイクが発見されたのは約1カ月後。ゼネコン銃撃事件と王将事件の犯行の流れなどが非常に似ているのだ。

 ゼネコン銃撃事件では拳銃から4発撃たれ、すべてが車に命中しているが、有力な物証となったのは盗まれた原付きバイクなどで、犯行に使用した拳銃は見つかっておらず、特定に至っていない。

 それでも判決では、田中容疑者が共犯者の組員に、

「特命が来ました。ちょっと厄介なことなんですけどね」「道具を使う」「体に当てずに乗車中の車に対して発砲する」「間違っても相手にけがさせちゃいかんので、これは自分でやります」

 と自らが実行役を担うことを伝え、当日の犯行時刻後には組員に、

「終わりました」

 と話している点や、原付きバイクのナンバープレートを外してバイクを捨てるなど、証拠隠滅をうかがわせる行為に及んでいることなどから、田中容疑者が実行犯であることが「強く推認」されるとし、懲役10年の実刑判決を言い渡している。

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「銃撃の腕、証拠をほとんど残さず、すぐには捕まらない」