今、新井氏がどのような状況にあるのかは分からない。新井氏を信じ、裁判費用の寄付などもしてきた支援者への説明はすべきだとメールはしたが、今の時点で返信はない。今はただ裁判を通して、事実が明らかになることを望んでいる。

 SNSでは、支援者やこの件についての記事を書いた者への謝罪を求めるような声もあがっているが、支援者たちに謝罪を求めるのは間違いだ。支援者は被害者を選ばない。少なくとも私は、フラワーデモを通して、被害者は選ばないと決めた。たとえば伊藤詩織さんのとき、当初、私は詩織さんの闘いに関わらなかった。残酷な言い方をすれば、「詩織さんがどういう人か知らなかった」からだ。詩織さんの闘いを支えなければと思ったのは、詩織さんが声をあげた17年5月から1年以上を経た18年の秋だ。韓国の#MeToo運動などを見て「韓国ってすごいな~」と感心する一方で、詩織さんの#MeTooを遠巻きに見ている自分に嫌気が差したのだ。「被害者と加害者を同じステージにあげて、どちらが正しいのか社会が判断する」という判断をする側に自分は立つべきではないと決めた。まずは被害者の声を聞く、というところに立つ。それが性被害を語りやすくし、性暴力を根絶し、誰も加害者にさせないための一歩だと、性被害者たちの絶望の淵に立つ声が教えてくれた。

 私はそのようにして、新井さんの声を聞いてきた一人である。それは新井さんの声に寄り添おうとした多くの当事者、支援者の思いでもあるだろう。今は、裁判で事実が明らかになることを期待したい。そして新井さん自身の言葉で何が語られるのかを注視したい。

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