巨人で15年間プレーした渡辺政仁(OP写真通信社)
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 プロ野球界には、目立った成績を残していないのに、10年以上にわたって現役生活を続けた選手が少なからず存在する。

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 現役最後の5年間で、166試合連続偵察要員というコアな出場記録をつくったのが、南海、西鉄に在籍した捕手・渡会純男だ。

 1957年に南海入りした渡会は、正捕手・野村克也が4番でフル出場するチームにあって、出番がほとんどなかった。

 60年に12試合欠場の野村に代わり、先発マスク7回をはじめ捕手で28試合に出場したが、36打数2安打2打点の打率.056と振るわず、翌年入団の鈴木孝雄に第2の捕手を明け渡した。

 66年に移籍した西鉄でも、実力伯仲の捕手が4人いたため、渡会は7試合しかマスクをかぶることができず、同年10月13日の近鉄戦が、捕手として最後の出場になった。

 さらに翌67年5月7日の南海戦に代打で出場し、スリーバントを成功させると、これが現役最後の打席となり、以後5試合はいずれも当時“当て馬”と呼ばれた偵察要員。ここから前人未到の日本記録が始まる。

 68年に南海に戻った渡会は、同年、出場65試合すべてが偵察要員という珍記録をつくる。そして、最終出場となった71年10月4日の近鉄戦、6番レフトでスタメンに名を連ね、166試合連続で偵察要員を務めた渡会は、1回表に打順が回ってきたところで、代打を送られ、役目を終えた。

 15年間の通算成績は、419試合172打数27安打、2本塁打、8打点の打率.157。最後の5年間は1打席だけで、守備にも就かなかったのに、戦力外にならなかったのは、ブルペン捕手やベンチの盛り上げ役としての貢献に加え、予告先発制のなかった当時、偵察要員がいかに重要な存在だったかを示している。

 昨季限りで引退した広島の捕手・白浜裕太も、ドラフト1位入団ながら、実働9年で通算1軍出場90試合と出番が少なかったにもかかわらず、19年間の現役生活を全うした。

 練習熱心な白浜は、若手の手本となり、若手投手の相談役を務めるなど、球団や首脳陣の信頼が厚かった。また、捕手はけがが多く、時には正捕手と第2捕手が同時に離脱することもある。そんな緊急時に、1軍レベルの守備力を持つ捕手が控えているのは、何よりの“保険”になるという理由もあった。

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