2007年から約12年間、アエラでコラムを連載していたぐっちーさんが亡くなって約5カ月。トランプ大統領誕生から、亡くなる直前に書かれた絶筆までの177本を完全収録した遺作、『ぐっちーさんが遺した日本経済への最終提言177』が2月21日に発売された。そんな177本から、編集者が真っ先に読んでほしいと思った「名作」トップ10を厳選。今回は番外編として、遺作には収録されなかった作品を紹介する。好き向け情報サイト「sippo」に掲載された「猫ばなし」の1本目だ。

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 このたび連載を始めた「ぐっちーさん」こと山口正洋であります。私の本業は投資銀行業務と言いまして、企業の資金調達などのお手伝いや運用、場合によってはM&Aなどという小難しいことをやるわけです。2008年からは金融経済専門のコラムを週刊誌「AERA」に連載させていただけるようになり、その勢いで本も書き、経済評論家と呼ばれるようにもなりました。でも実はもう一つ「本業」がありまして、それが「猫」なのです。

 元来投資銀行の仕事はどちらかというと、人に会ったりワインを飲んで騒いだりするのがメイン。ところが本を書くとなると、お酒を飲んで踊ってるはずの時間に家に帰り、パソコンに向かわなければいけません。

 そのワタクシの文筆活動の傍らにはいつも「しま」という猫がいたのです。最初に出した本のスペシャルサンクスにはその「しま」も入っています。

 夜中になかなか原稿が書けずにうんうんとうなっているといつのまにやら、しまは私の傍らで眠っていました。本当は寝てないんですがね、これが……。猫を飼っておられる方はすぐおわかりでしょう。

 遠くから「にゃ~」と鳴くのでちょっとそちらに目を離したすきに、パソコンの上に乗られ、原稿がすべて「V」の字に埋め尽くされてしまった、なんてこともしょっちゅうありました。そして、「よし、完成」となると、何がわかるのか、必ず「にゃ~」と言いながらひざの上に乗ってきて、ごろごろしていたもんです。

 
 猫は本当に不思議な生き物です。やはり人間の心がわかるのでしょうか。今でもそれらの本を手に取ると、しまとの思い出ばかりがよみがえるのです。しまとは、私の家に母猫が産み落としていって以来15年ほどの付き合いでした。3年前に亡くなってしまい、その後は正直、とてもほかの猫を飼えるような心境ではありませんでした。

 それでも、本業で東北での仕事をしている関係上、震災の時は被災猫の面倒を見させてもらいました。それぞれにとてもかわいい猫ばかりでしたが、すべて飼い主をさがし、引き取ってもらいましたが……俗にいうペットロスというやつを、その度に味わったわけです。もう猫を飼うことはないだろうな、と思いつつこの連載を引き受けることになったので、しまの思い出話を書いていこうかな、と思っておりました。

 ところが、です。つい先週、長女がやってきて、「友人が猫を拾って飼い主をさがしている」というのです。ちょうど連載も始まるし、これはまた何かのきっかけか……と思いつつ、いま悩んでいるところではあるのです。

 猫というのは不思議なやつで、このようにふとしたきっかけで縁ができる、ということが多いのです。猫を飼っている方は、家に捨てられていた、拾った、誰かに頼まれた、という「受動型」のケースが圧倒的に多い。私は子どもの頃は犬ばかり飼っていましたが、犬の場合、積極的に何犬がいいかな、大きさはどうかな、毛は何色かな……などと飼う前にずいぶん「積極的」に悩まれるのではないですか? 猫でもそういう飼い主の方はおられますが、私の知る限り圧倒的に少数。「家の庭に住み着いたからね~」、「しょうがなくてね~」などと笑っておられる飼い主を私は何人も知っています。

 犬か猫か――とよく議論になりますが、何より犬と猫の大きな違いはここです。犬は人間も犬もお互いに積極的にかかわろう、という覚悟がなければ飼えません。人間が積極的に面倒を見ることが絶対条件だし、犬の側も人間に積極的にかかわってきます。まるで小さな子どもと一緒に住んでいるような感じです。そしてそこには明確な主従関係が存在します。

 
 しかし猫は、出会いからしてそんな感じで、生き方も自由そのもの。まして主従関係なんて全く関係なし。自由な関係と言えばいいでしょうが、むしろ猫は人間を、自分にとって都合の良いパートナーくらいに思っているフシがある。あくまで対等な関係として。人間が放っておいても気にするそぶりもないし(そういう振りをする)、向こうも積極的には滅多にかかわってこない。よほど本人(猫)の気が向くとのそのそとやってくる。犬を小さな子どもに例えましたが、人間に例えると猫は……そう、女性(しかもちょっと性格が悪い!)なのです。

 いつも自分の好き勝手にしているくせに、さみしくなると寄ってきて「なでて~」と要求する。でもずっとそうされるのは本当は嫌で、また飽きるとどっかに消えていく。ほら読者の中にもそういう方、いるでしょう(笑)。でもそれこそが猫の魅力そのものなのです。

 犬と違って積極的にかかわらなくてもいいけれど、信頼関係だけは犬とは違った形で人間との間にいつのまにかできあがっていく。だから猫が亡くなった時は、よけいにつらいのです。人によってご意見はいろいろでしょうが、犬を亡くした時、ワタクシは「本当に天寿を全うしてくれて、いままで本当にありがとう」と泣きました。一方で猫であるしまをなくした時には、「なんでお前は死んでしまうんだ!」と号泣することになりました。この違いはあるんです。もちろん両方とも悲しいんですよ、当然。

 子猫をお持ちの方は、まだまだそういう域には達しておられないと思います。子猫は好奇心が旺盛なので何にでもよく反応します。猫じゃらし、レーザーポインター、テレビ、鳥などなど。これが大きくなってくると、馬用語でいう、ずぶくなる。しかし、「私のことを100%わかってますからね」という顔をして歩いている。こうなるともうやめられないわけです。何か嫌なことがあったりして頭に来ていても、いつもと変わらず「にゃ~」。悲しいことがあっても「にゃ~」。うれしいことがあればもちろん「にゃ~」。文字に表すとみんな「にゃ~」になってしまいますが、その声色がすべて違う。イントネーションがまた違う。間も違う。これはしゃべってるでしょ、マジで。そう思った瞬間、人間は猫から離れられなくなるのです。

 とまあ、こんな調子で猫話が続いていきます。どれだけのペースで書けるのか、よくわかりませんが、動物大好きですので、いろいろ書いていく予定です。では、これより本格的に始まります、猫ばなし!!

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ぐっちー

ぐっちー

ぐっちーさん/1960年東京生まれ。モルガン・スタンレーなどを経て、投資会社でM&Aなどを手がける。本連載を加筆・再構成した『ぐっちーさんの政府も日銀も知らない経済復活の条件』が発売中

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