歌舞伎の世界を描いた小説『国宝』を朗読したオーディオブックが完成した。1日6時間、15日間にも及んだ収録で語り部を務めたのは歌舞伎役者の尾上菊之助さん。作者の吉田修一さんに尾上さんが言葉を寄せた。
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『国宝』の主人公の喜久雄は歌舞伎役者の家に生まれておらず、とある運命から歌舞伎の道に入り才能を開花させます。14歳から人間国宝になるまでの悲喜こもごもの歳月を朗読し終えた今、私自身も喜久雄の人生をともに歩んだような気持ちです。
吉田修一先生が黒衣(くろご)を着て楽屋にいらしたのは見ていました。最初は、(中村)鴈治郎のお兄さんのところに見習いの方か新しいお弟子さんが入ったのかと思っていたのですが、後々、吉田先生だと聞いて、それはもうびっくりして。
小説を書くために取材をするということは、もちろんあるでしょうが、吉田先生は何年も黒衣を着て歌舞伎役者に密着されました。
だからでしょうか。歌舞伎の匂いや世界観を感じられる作品だと思えます。喜久雄と歌舞伎役者の長男俊介との厳しい稽古の様子などあまりにもリアル過ぎて、どうやって取材したのかとお尋ねしたいくらいです。
そして何より、芸術家の光と闇──というのもしっかりと描かれている。驚くほど深く、歌舞伎のあらゆる面を多面的に描いてくださったというふうに感じました。
また、『国宝』にはたくさんの演目が出てくるのですが、歌舞伎好きの人ならこれは忠臣蔵のあの場面だ、というふうに心躍るでしょう。歌舞伎を全く知らない方でも喜久雄の人生を通じて、歌舞伎を身近に感じていただけると思います。
今回、私は朗読という立場で『国宝』に関わらせていただきました。朗読は、語り部であり、老若男女、全てを一人で演じ分けなければなりません。
これまでに短いナレーションの経験はありましたが、『国宝』は上下巻700ページを超える大作です。
この世界観をどのようにお客さまに届けられるだろうかとすごく悩みました。男性を読むのは当たり前ですが、女性を読んだ時に本当に説得力を持ってお客さまに伝えることができるのかということは、緊張したところです。