批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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年の瀬に衝撃的なニュースが飛び込んできた。神奈川県庁が業者に破壊を委託したハードディスク(HDD)が、機密行政文書が復元可能な状態で転売されていたというのである。流出したHDDの容量は54テラバイト。世界でも稀な規模の情報流出だという。
手口はじつに単純だ。神奈川県庁はHDDを業者からリースしていた。契約が終了したHDDの破壊を、リース会社はさらに別業者に委託。後者の社員が、HDDを破壊せず持ち出して転売し、小遣い稼ぎをしていたというのである。問題の社員はすでに逮捕され解雇されたが、4千件近い余罪があることが判明している。この業者には防衛省や最高裁をはじめ多数の官公庁・企業が破壊を委託しており、今後被害が広がる可能性がある。
この件では県庁の情報管理を批判する声もある。しかしそれはさすがに酷だろう。契約に不備があったとは思えないし、リース会社も破壊業者も大手だった。下請けの報告を鵜呑みにするのは危険との意見もあるが、そんなことをいったらどんな取引もできなくなる。盗難を許した管理体制の不備は問題とすべきだが、それにしても問題の業者が特別に稚拙という印象は受けない。事件の本質は、やばい社員がいたということに尽きている。
それだけに衝撃は大きい。HDD転売への備え自体はむずかしくない。利用時には暗号化を心がけ、廃棄時も初期化するだけではなくゼロデータを書き込めばいい。それでも心配ならハンマーや電気ドリルで物理的に破壊すればいい。
しかし問題はもっと手前にある。社会の原理は相互信頼である。信頼があるからこそ従業員も雇えるし取引もできる。今回の事件は素朴なだけにその原理を深く揺さぶっている。下請けや外注が約束を守らない、あるいは従業員が平気で嘘をつくという前提で、いかなるビジネスが可能だろうか。制度や技術で防げることには限界がある。人間がダメになったら社会もダメになるのだ。
日本はいまや、つねに他人の嘘を警戒し続けねばならない国になった。その点で今年を象徴する事件にも思えた。
※AERA 2019年12月23日号