トルコ軍はこれまでにも2016年と18年の2回、「IS」掃討を名目にシリアに侵攻しクルド人主体の「シリア民主軍」と衝突したが、それが米軍の「友軍」である以上、徹底的攻撃は控えざるを得なかった。
ところが10月6日、トランプ米大統領は「米軍のシリアからの撤退」を発表した。中東からの米軍撤退は大統領選挙での公約だったし「アメリカ第一主義」の原則に合致する。だがこれはトルコに「ゴー」の信号を出したも同然で、トルコは遠慮せずにクルド部隊を攻撃できるようになる。その3日後、トルコ軍はシリアに侵攻した。
トルコの懸念には理解できる面もある。だが、自国内の反徒の蜂起を予防するために隣国へ侵攻し、広大な領土を占領して「安全地帯」にすることが許されるわけはない。NATOの同盟国である欧州諸国も一斉にトルコを非難した。安全地帯が必要なら自国領内に設けるべきだろう。
米国議会では米軍撤退は「クルド人への裏切り」との声が高く、16日の下院では「シリア撤収非難決議」が354対60で可決された。与党共和党の下院議員も199人中129人が賛成しており、トランプ氏にとっては足もとを揺るがす大失態だ。今になって「トルコ軍の侵攻を支持しない」とか「トルコに経済制裁をする」と言っても手遅れだ。
トルコ軍は陸軍26万人、戦車約2400輌、装甲車約5300輌、ヘリコプター330機を持つ近代的軍隊だ。空軍はF16戦闘機217機など約300機を持つ。一方「ペシュメルガ」は27万人で少数のヘリ、戦車を持ち、米、独から装甲車や新しい歩兵火器を供与されているが、当面シリアで戦えるのは数千人とみられ、火力による正規戦では対抗できない。
だがトルコがシリア領内で幅10キロの地帯を監視しても、クルド兵は後方のシリア内のクルド地域やイラクの自治区から出没してゲリラ戦に持ち込むことが可能だ。シリア軍から武器弾薬の補給を受ける可能性もある。
シリアは内戦中、ロシアの支援を受けてきた。冷戦中160万人の陸軍を持ち、今では28万人に減らしたロシアには、余った歩兵装備は山ほどある。しかもゲリラ戦になればトルコ領内のクルド人が呼応して、トルコ軍の後方補給路を脅かしかねない。ゲリラの制圧には10倍の兵力が必要、と言われる。
領土の一部を事実上占領された形になるシリアがそれを容認してトルコと和解し、クルド人部隊はシリア政府軍の傘下に入る──。そんな好都合な情勢にならない限り、今回のシリア侵攻はさらなる紛争の火種となり、米国とトルコの両大統領にとり致命傷になる公算が相当あると考えられる。(軍事ジャーナリスト・田岡俊次)
※AERA 2019年11月11日号