前出の土地さんは、
「オックスフォードでのさまざまな経験は、きっとご家庭でも話題にされているのではないでしょうか。ご両親が共有された価値観が愛子さまにも引き継がれていくとしたら、素晴らしいことだと思います」
最後に、留学の前後を通じて変わることのなかった、雅子さまの人柄を示すエピソードを紹介したい。
雅子さまは渡英して半年ほど経った89年4月、土地さんに一通のエアメールを送っている。
1年ほど前の88年6月に、一緒に尾瀬を旅行したときの写真と、送付が遅くなったことをわびるとともに、学年末の試験をパスしないと落第してしまう厳しさ、全体としては楽しんでいるといった近況が美しい筆跡で書かれていた。
オックスフォード大への留学が決まった土地さんが翌90年5月、同大を訪ねると、雅子さまがカレッジを案内してくれた。修了試験の準備中で、3日ほど部屋にこもって勉強している最中だったという。
「カレッジを見学した後、雅子さまや留学中の友人たち4人で中華料理店で晩ご飯を食べたんです。でも、雅子さまは勉強をしなければならなかったので、食事が終わるとすぐに、『私はもう帰らないと』と席を外されました」
陛下はプロポーズの際、雅子さまを「一生、全力で守る」と宣言した。祝福に包まれた二人だが、結婚後の歩みは決して順風満帆なものではなかった。「お世継ぎ問題」などさまざまなプレッシャーを受け、雅子さまは2003年12月から長期療養に入る。病名が「適応障害」と発表されたのは、04年7月のことだった。05年の雅子さまの誕生日に際し、医師団は体調を崩した原因について、出産後まもなく、愛子さまと離れて多くの公務が続いたことが病気の引き金になった、との見方を示したほか、私的な楽しみを控えてきたことによる「心理的な閉塞感」を強く感じたと指摘している。
公務が思うようにできない時期が長く続き、非難の声も上がったが、天皇、皇后への即位後は、いわゆる「バッシング」の声を聞くことは少なくなった。
聞こえてきたのは、先述のトランプ大統領夫妻や、フランスのマクロン大統領夫妻を迎えた際の堂々としたもてなしぶりへの、称賛の声だ。
10月22日夜に開かれた祝宴「饗宴の儀」でも、その力は遺憾なく発揮された。陛下と雅子さまは、英国のチャールズ皇太子やスペインのフェリペ6世国王夫妻ら164の国と地域、国際機関からの賓客249人と、通訳を介さず笑顔でやりとりを重ねた。旧知の来賓とは会話が弾み、親交の深さが感じられた。
外に向けた国際感覚と、内側の国民に向けた庶民感覚。オックスフォードで養われた二つの価値観が、令和の皇室の道しるべになっている。(編集部・福井しほ)
※AERA 2019年11月4日号より抜粋
■発売中のAERA11月4日号では、雅子さまの留学時代の写真や友人に送ったエアメールなどの未公開写真を掲載しています