皇室という、外とのコンタクトを自由に取りにくい立場にいらした陛下は、なおさらそう感じていたかもしれませんね」

 陛下は留学中、「十七、八世紀におけるテムズ川の水運」をテーマに研究に取り組んだが、後日、学術用語に慣れるため講義を録音したテープを何度も聞き返したと話している。留学中の研究は、89年3月、英文の論文集「THE THAMES AS HIGHWAY(交通路としてのテムズ川)」にまとめている。関心はその後、「世界の水問題」に広がり、国内外で学術講演をするなどライフワークになった。今年6月にフランスからマクロン大統領夫妻が来日した際は、気候変動問題についても語り合ったという。

 陛下は留学中の会見で、「日本の良さを外から客観的に見られて勉強になった」と話している。帰国直後の85年11月の会見では、こう決意を述べた。

「(英国の)王室の一人ひとりがそれぞれ国民とともに歩もうとする姿勢が言葉の端々にも表れていた。日本の皇室もこれから先、国民の中に入っていく姿勢が必要。それにはいろいろな場を通じていろいろな人びとに接したい」

 英王室から家族のようなもてなしを受けた体験をもとに、こんな発言をしたこともある。
「英国に比べて、日本の警察の警備はちょっと過剰。目立ち過ぎ、スマートでない。警備は、国民と皇室を隔てるものであってはいけないと思う」

 そしてオックスフォード大への留学を終えて帰国後1年が経とうとする86年10月18日、元赤坂の東宮御所で催された茶会で陛下は雅子さまと出会う。

 このときはほとんど言葉を交わさなかったが、陛下は当初から、雅子さまに強い好感を抱いていたという。約2カ月後の12月30日には2度目の対面を果たし、その後も雅子さまが赤坂御用地内にある高円宮邸に招かれるなどしたが、88年秋に雅子さまがオックスフォード大への留学のため渡英すると、交流は一時途絶えた。(編集部・福井しほ)

AERA 2019年11月4日号より抜粋

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