福田晴一(ふくだ・はるかず)/昭和31(1956)年、東京都生まれ。みんなのコード学校教育支援部主任講師、元杉並区立天沼小学校校長。約40年の教員生活を経て、2018年4月NPO法人「みんなのコード」に入社。61歳で新入社員となる。2020年度からの小学校におけるプログラミング教育必修化に向け、指導教員を養成すべく、全国を東奔西走中福田晴一(ふくだ・はるかず)/昭和31(1956)年、東京都生まれ。みんなのコード学校教育支援部主任講師、元杉並区立天沼小学校校長。約40年の教員生活を経て、2018年4月NPO法人「みんなのコード」に入社。61歳で新入社員となる。2020年度からの小学校におけるプログラミング教育必修化に向け、指導教員を養成すべく、全国を東奔西走中
4年生女子の自由研究作品(写真/著者提供)4年生女子の自由研究作品(写真/著者提供)
 61歳で公立小学校の校長を定年退職した福田晴一さんが「新入社員」として入社したのはIT業界だった! 転職のキーワードは「プログラミング教育」。全国を教員研修で回っているうちに63歳となった。今回は、プログラミング教育を受けた子どもたちのエピソードを紹介したい。

【福田さんが思い出す、4年生の女子自由研究作品はこちら】

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 いよいよ夏休み。夏休みといえば、「自由研究」に苦慮するご家庭も多いだろう。ちなみに私、校長現役時代は「校長先生の自由研究」として毎年貯金箱を制作していた。子供達に自由研究を課題に出しているからには自分も……と、毎年それなりに真剣だった。

 1年目は、ウィスキー角瓶のカドをひたすらガラス削りで削って、お金を入れる穴を作り、ガラス製の貯金箱に。手に豆が三つできました。2年目は、1年目と同じ角瓶のデザインの貯金箱を木工でトライ。3年目は、また同じデザインにして今度は革細工で。町会長が革細工の師匠さんなので、数日間通って仕上げた本格派(?)。子供達からは、『校長先生の自由研究=貯金箱』という市民権を得ていたようだ。

 さて、夏休みの自由研究というと、3年前、私が校長在職中の4年生女子(現在、中学1年生)の作品を思い出す。

 2学期はじめの始業式は、多くの児童が「夏休みの自由研究」として、立体工作や絵日記、旅行記、研究レポートを大きな袋に入れたりして持参してくるが、彼女の作品は、自分で作ったゲーム『scratch オリジナルゲーム』だったのだ。スケッチブックに制作の様子やスクリプト(フログラミング)を示したものを提出してきた。

 幸い、学校には多くの端末が配備されていたので、彼女の制作したゲームを実装し、体験できるように展示した(これだけでも、画期的な事だ)。

 ゲームの内容は、以前流行った「イライラ棒」を画面上で扱うようなスタイルだが、背景画面から登場するキャラクター全てがオリジナル。操作は簡単だがストーリー性がある。音も入り、シューティングもあり、なかなかゴールできないゲームとなっていた。

 
 正直、私は3年前にscratchの知識があまりなく、単に「すごいね……」と、感想にもならない評価で終えてしまったことが悔やまれる。

 彼女は現在、都内の私立中学校に通っている。今回の原稿を書くにあたり、お母様もふくめて何回かメールでやり取りをした。

 改めて「プログラミングとの出会い」を聞くと、ゲームに夢中になる自分に母がプログラミングのワークショップを勧めてくれたのがきっかけだったという。「プログラミングの楽しさって何?」と問うと、「正しくプログラミングできれば絶対に思い通りに動かすことができる事」、そして「自分の思う世界観を自分の手で作り上げていく事」だとか。そして、思い通りにならなくても、間違いを探せば絶対に思い通りになるので諦めない事も大事だと言う。中学一年生にしてプログラミング教育の真髄をついている。

 中学校に進学し多くの情報と刺激の中、今はダンスもやりたいそうだ。彼女の将来の夢は、ゲームの世界観を作るような仕事、または、音楽を作るような仕事につくこと。そのためにも、英語を頑張りたいとも。私は彼女とやりとりをしながら、「日本の未来も悪くないぞ」と、期待感をもった。

 もちろん、彼女は優秀で環境にも恵まれている……と言ってしまえばおしまいであるが、彼女のような思いを馳せる子供は多く潜在しているはずである。

 長年子どもたちと接してきて思うことは、子どもたちの興味の芽はいつ、どのタイミングで出てくるかわからない、ということだ。予想はできないが、「種まき」が必要なことは確かだ。

 また、こんなこともあった。

 今年の3月、知り合いのお母さんに頼まれて、その方のお子さんが通う小学校で「1日プログラミング研修」を行った。対象は6年生。担任の先生の「卒業までに一度でもいいからプログラミングを体験させてあげたい」という熱意もあって実現したものだ。

 1クラス2時間ずつ、という限られた時間であったが、今までの研修内容をぎゅっと凝縮させ、迎えるSociety 5.0の社会について、プログラミング的思考法について、実際にコンピュータを使っての実践までひととおりのコースを行った。

 
 ちょっとスピード早かったかな?と思ったものの、さすが卒業間近の6年生、飲み込みは早く、積極的に課題に取り組む子どもたちの姿に先生たちも喜んでおられ、無事役目を果たしたことに安堵しながらその日は帰宅した。

 それから3カ月経った先日、たまたまそのお母さんと会う機会があったのだが、その後の話に驚いた。なんとその後、娘さんはプログラミングに目覚めてしまい、ゴールデンウィークにはプログラミング教室に通い、中学校では、アプリなどを制作するサイエンス部に入ったのだとか。

「理科が苦手だった娘がサイエンス部だなんて」とお母さんもびっくりしている。

 もちろん、これも6年生のプログラミング体験だけが原因ではないだろう。しかし、刺激のひとつになったことは確かのようだ。彼女の中の興味の芽があらゆるところから刺激を受け、ポっと芽を出したのだろう。

「プログラミング教育で未来を変える」なんて大げさなことでなくてもいい。学校現場での体験が子供達の無限の可能性を、導きだす一助になれば……と切に思う。それこそが「小学校プログラミング教育」の大きな使命であるに違いない。

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福田さんが悔やんでいることとは…