

いよいよ今月末に退位を控えた、皇后美智子さま。二十余年にわたり親交を深めてきた編集者の末盛千枝子さんが、私たちの知らない美智子様の優しい素顔について、いくつかのエピソードを明かしてくれた。
【写真】練馬区立美術館で「ダミアン神父」像を鑑賞される美智子さま
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小さいときから短歌に親しみ、折々に詠まれてきた美智子さま。その御歌からは一人の女性として胸に秘めた心情も窺われる。ご成婚の年に詠まれた御歌は、
<黄ばみたるくちなしの落花啄みて椋鳥来鳴く君と住む家>
少年のころの陛下に心を寄せる初々しい御歌もある。
<思ひゑがく小金井の里麦の穂揺れ少年の日の君立ち給ふ>
さらに母としての切なる思いが垣間見えるものも数々あった。
<家に待つ吾子みたりありて粉雪降るふるさとの国に帰りきたりぬ>
やがて平成の時代には陛下と共に慰霊の地を訪れ、追悼の思いを詠まれてきた。なかでも心打たれたのは硫黄島を詠んだ、
<慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ>
末盛さんが最初に御所で両陛下にお目にかかったのも、平成になって間もない頃だった。
「お話しなさるときは必ず目と目を見合わせ、なんと仲のよろしいお二人だろうかと。そしてまさに、お互いを同志として確かめ合うような雰囲気が痛々しいほどに伝わってきたのです」
常に陛下を支え、ひそやかに寄り添ってこられた日々。その美智子さまが初めて自身の思いを講演したのは1998年。インドのニューデリーで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)の世界大会で「子どもの本を通しての平和」をテーマに基調講演の依頼を受け、ビデオ収録によって上映されたものだ。
その収録前、末盛さんはこんな会話を交わしていたという。
「皇后さまは『どういう服がいいかしら』とおっしゃったので、『明るい杏色やローズ系のお洋服がとても素敵だと思います』と申し上げたんです。すると2日ほど経って、『講演を52分も聞く人たちが赤い服を見ていたら疲れると思うから、グレーにしようと思うの』と。その胸につけられたのは、ご両親から贈られた麦の穂をあしらった銀のブローチ。たぶんお守りのような思いがあったのでしょう」