「死者の多さばかりに関心が向き、助かったけど障害を抱えた人の存在にほとんど目が向かない。その結果、喪失感を抱く震災障害者の苦悩に気づかない。当事者も『生きているだけまし』と思われ社会に苦悩を言えない」
神戸市に住む岡田一男さん(78)もそんな一人だった。
「一番こたえました」
と振り返る。
神戸市東灘区で喫茶店のマスターをしていた。阪神・淡路大震災で店舗兼自宅のビルは崩れ、がれきに約18時間埋まった。一時はテレビで「死亡」の誤報も流れた。一命はとりとめたものの、臀部(でんぶ)の右側が圧迫されたことから筋肉が壊死(えし)する「クラッシュ症候群」になり、しびれが残った。妻と娘は無事だったが、自宅と喫茶店を同時に失った。
岡田さんを苦しめ続けたのはそれだけではない。
8カ月間入院し、2年間リハビリを続け、生活のため警備員の仕事を始めた。すると近所の人たちから「命があっただけよかったな」と言われるようになった。悪気がないとわかっていたが、生きることのつらさを理解してもらえない孤独を覚えた。できるだけ人と会わないようにしようと裏道を歩くようになった。笑うこともできなくなった。
今は牧さんと出会ったことで笑顔が戻り、若者たちに、災害で障害を負って忘れられた人たちの姿や問題点を伝えている。
「自分が生かされた意味は、実態を伝えることやと思ってます」
17年2月、牧さんは岡田さんたち当事者とその家族、支援者らと厚生労働省を訪れ、震災障害者に対する一層の支援を求めて要望書を提出した。要望を受け厚労省は、障害者手帳の交付業務を担う都道府県などに「自然災害」を申請書類の原因欄に加えるよう通知し、対策の検討を促した。震災障害者の把握が進み、心のケアなど関連支援を行き届かせることができるようになった。そして今、震災だけでなく災害全般にわたる障害者を「可視化」するための働きかけを国に行おうとしている。
「例えば、大きな災害が起きた際、テレビのテロップで死者や重傷者と合わせ、重傷者の中に後遺症を負った人が何人いるかも流せば、災害障害者がいることがわかり、この人たちを支援しようとする人たちが出てくる。それを期待している」(牧さん)
阪神・淡路大震災で被災した甲斐研太郎さん(71)は、全壊した自宅に22時間生き埋めとなり今も両足首はほぼ曲がらず、かがむこともできない。幸い生活に大きな支障はないが、当事者としてこう伝えたいと話した。
「いつどこで大きな災害が起こるかわからない。災害による障害と向き合い、苦しみながら懸命に生きている人がいることを知ってほしい」(編集部・野村昌二)
※AERA 2019年4月15日号より抜粋
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