ロシアによるウクライナ侵攻から1年。キーウ在住の30代ウクライナ人女性が、侵攻開始直後のこと、現在の暮らしぶりなどについて語ってくれた。AERA 2023年2月27日号から。
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昨年2月24日の午前4時、爆撃の音で目を覚ましました。私はその日のうちに首都キーウの住まいを離れ、ウクライナ西部へ逃れました。同僚の家へ身を寄せ、夜は地下シェルターで眠るという生活を1カ月近く続け、今はまたキーウへ戻っています。正直なところ、こうして生き延びることができたのは、奇跡としか言いようがありません。いつ命を落としても不思議ではありませんでした。
住まいを逃げ出すのは昨年が初めてではありません。2014年2月に始まるロシアのクリミア半島奪取、自称共和国の設置などに危機感を抱き、出身地のドネツクを離れてキーウへ逃れてきました。ただ、昨年の爆撃は9年前よりもひどかった。14年にはドネツクの地を離れようとしなかった私の高齢の母も、住居を爆撃で失ったことで、ようやくキーウへ逃れてきてくれました。
いまは昼間はNGOで働き、終業後は被災者支援のボランティア活動をする毎日です。空襲警報が鳴っていなければ、カフェに行って仕事をすることもありますが、そうでなければ家にこもり、夜はシェルターに身を隠しながら仕事やボランティア活動をすることもあります。