在位30年記念式典で、天皇陛下が用意した原稿を読み間違えた際、傍らにいた皇后さまがすぐに気付いて伝えた/2月24日、東京・国立劇場(写真:代表撮影)
在位30年記念式典で、天皇陛下が用意した原稿を読み間違えた際、傍らにいた皇后さまがすぐに気付いて伝えた/2月24日、東京・国立劇場(写真:代表撮影)
国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪れた皇太子ご夫妻時代の天皇、皇后両陛下。入所していた人たちに、にこやかに話しかけていた/1975年7月、沖縄県名護市 (c)朝日新聞社
国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪れた皇太子ご夫妻時代の天皇、皇后両陛下。入所していた人たちに、にこやかに話しかけていた/1975年7月、沖縄県名護市 (c)朝日新聞社
那須御用邸の敷地内を散策する皇太子ご一家。愛子さまはくつろいだ表情を見せていた/2018年8月、栃木県那須町 (c)朝日新聞社
那須御用邸の敷地内を散策する皇太子ご一家。愛子さまはくつろいだ表情を見せていた/2018年8月、栃木県那須町 (c)朝日新聞社

 在位30年を祝う式典で、平和への思いを語った天皇陛下。皇后とともに慰霊の旅を続け、国民の共感を集めた平成の時代がまもなく終わる。皇太子さまと雅子さまによる新時代の皇室は、どのような姿になるのか。コラムニストの矢部万紀子氏がつづる。

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 2月24日に開かれた「天皇陛下在位30年記念式典」での「おことば」。その最終盤、陛下(85)は「平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています」と語り、美智子さま(84)の歌を披露した。

<ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ>

 この歌が詠まれた時、昭和天皇崩御という深い悲しみの中にあったので、その「ことば」は声高に語られたものではなかったと断り、こう続けた。

「しかしこの頃、全国各地より寄せられた『私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく』という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」

 8分を超した「おことば」だったが、「私ども」という表現が使われたのはここだけだった。自分たちは心の中に、国民と「平和」を共有したことをとどめているのだ、と述べたのだ。平成という時代を締めくくるのに、実にふさわしいと感じた。

「忘れてはならない4つの日」は、今では宮内庁のホームページにも載っているが、陛下がその話をされたのは、まだ昭和の時代だった。

 1981年8月7日に「まもなく終戦記念日ですが、どんな感慨を持たれますか」と質問され、皇太子さま(当時)はこう答えた。

「こういう戦争が二度とあってはいけないと強く感じます。そして、多くの犠牲者とその遺族のことを考えずにはいられません。日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つあると思います。(終戦記念日と)昨日の広島の原爆、それから明後日の長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日。この日には黙祷を捧げて、今のようなことを考えています」

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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