造船業で栄えた北加賀屋の「千鳥文化住宅」を改装。カフェやギャラリーが入る「千鳥文化」と呼ばれるスペースに(撮影/植田真紗美)
造船業で栄えた北加賀屋の「千鳥文化住宅」を改装。カフェやギャラリーが入る「千鳥文化」と呼ばれるスペースに(撮影/植田真紗美)
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 アーティストの森村泰昌さんが、かつて造船の町として栄えた大阪・北加賀屋に自身初となる個人美術館を開いた。北加賀屋はアートの町に移り変わっている。

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美術館周辺の北加賀屋の町を歩いてみた。注意深く見ていくと、住宅街に突如として小さな劇場が出現したり、街角でオブジェが動き出したり。古いアパートをリノベーションしたオシャレなカフェなどもあり、町を丸ごと展覧会場にした、プチ芸術祭のような趣もあったりする。

 地主である千島土地が手がけるこのプロジェクトは、「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」と呼ばれる。同社の芝川能一社長(70)が振り返る。

「そもそも北加賀屋の土地も、明治時代に取得したもので、代々、土地の売り買いを、あまりしていない。そんなとき、賃貸していた名村造船所の土地が返還された。90年代の不動産バブルの前で景気がよかっただけに、戦前から貸していた土地が返ってくるなんて、夢のようでね。うれしくて、原状復帰不要と、そのまま返還を受けたんです」

 だからといって、同社が造船所を運営するわけでもなく、跡地を真っ暗なまま放置していたときのことだ。大阪の劇場がつぎつぎ消滅するなか、劇場プロデューサーらの提案で、ここを文化の発信地として活用するプロジェクトが2004年、スタートする。

「造船所跡の土地は所轄の省庁が複数で、そう簡単に商売替えはできないんです。だから、どうぞと。それも2034年までの30年間、使っていいですよと提供した。当時イベントに来てくれた批評家の浅田彰さんにも『朽ちていく姿が美しい』などと言われて、ますます、造船所をこの姿で残さなければという思いを強くしました」(芝川社長)

 一方、住宅や工場が立ち並ぶ北加賀屋の町も、造船所を失って人口は減少の一途に。空き家が増え、日に日に朽ちていった。アーティストなら、自分の手でリノベなり改築なりしてくれるはず。そう考えて、アトリエや住居、作品倉庫などさまざまな用途で、アーティストへの賃貸を積極的に進めるようになった。

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