筆者がGSBに留学した2002年は、高品質な日本製品の輸出で日米貿易摩擦が激化した1980年代の「ジャパン・バッシング(日本叩き)」の時代から、半導体産業等の凋落により日本の存在感が希薄となる「ジャパン・パッシング(日本素通り)」の時代に移っていた。ケーススタディで取り上げられる日本企業もトヨタ以外にはほぼ皆無で、筆者が日本人の視点からクラス・ディスカッションに貢献することは容易ではなかった。
ある日、とある米国企業のケーススタディで議論していたとき、原子力業界での経験に基づくコメントを遠慮がちにしてみた。すると、隣に座っていたアメリカ人のクラスメートから、ノートの切れ端をわたされた。そこには、“That was a great comment, Kenji!”と書かれてあった。
この日を境に、弁の立つアメリカ人コンサルタントたちよりも多少雄弁さに劣っていようが、1学年372名のクラスのなかで唯一の原子力エンジニアとしてのユニークな視点は価値があるものだという絶対的自信をもって、積極的に発言をするようになった。そうするうちに、チームを組んで課題に取り組む授業では、意識の高いチームほど、筆者をチームメートとして誘ってくれることが増えていき、それがよりレベルの高い教育機会につながっていく、という正のスパイラルが働くようになった。
当時、日本国内では原子力はあまり魅力的な産業とはみなされておらず、原子力関係者であることを胸を張っていいにくい空気すらあった(現在ほどではないにせよ)。ところが、GSBで原子力エンジニアだと自己紹介すると、「すごい! 要するに、アインシュタインみたいな天才ということだね」と勝手に誤解して、過大評価してくれる人が多かった。「まあ、ちょっと分野は違うけどね」と、まったく謙遜になっていない適当な受け答えをしつつ、プラスの評価はちゃっかりいただく処世術も学んだ。