批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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前回に引き続きロシア取材の話をしたい。プーチン政権は2015年に、「政治的抑圧の犠牲者」についての記憶保存を積極的に推進する政策を発表している。とりわけ昨年は革命から100年、スターリンの大粛清から80年で、ロシア国内では複数の記念碑が設置された。そのひとつ、モスクワの郊外にある「ブトヴォ射撃場」跡の記念碑を訪れた。
同射撃場は1937年から38年にかけて2万人以上が銃殺され埋められた現場で、現在は記念公園になっている。
記念碑は、高さ2メートルの花崗岩の壁が左右に150メートル続く回廊状の構造で、正面から見て左に37年、右に38年、合計2万762人の犠牲者の名前が刻まれている。この記念碑が印象的なのは、すべての銃殺の日付が特定されていることだ。37年8月8日から38年10月19日まで、日ごとに死者の名が刻まれている。その迫力はすさまじい。
このような記念碑制作の背景には、国家政策だけでなく、市民運動の分厚い蓄積がある。その代表的存在である「メモリアル」は、ソ連時代の銃殺リストをネットで公開し、犠牲者名で検索可能にしているほか、モスクワ市内の監獄や処刑地跡を一覧できるインタラクティブマップも提供している。
かつて柳田國男が指摘したように、日本では伝統的に、死者の魂は固有名を失って「みたま様」に融(と)けこむものだと考えられてきた。実際靖国神社は、戦犯も一般軍人もみなひとつの神霊に統合して祀っており、それは政治問題にもなっている。そのような国民性からすれば、犠牲者の名前や日時にこだわるロシア人の情熱は、過剰に見えるかもしれない。しかし、すべてを「みたま様」に還元するのでは、なかなか記憶が継承されないのもたしかだ。
そして、もうひとつ重要なのは、ブトヴォの記念碑にせよメモリアルの活動にせよ、しっかりとした公文書管理の体制があるからこそ可能になっていることである。ロシアでは80年前の銃殺リストが保存され検索可能となっている。80年後の日本で、現在の公文書はどれほど保存されているだろう。心許ないのはぼくだけではあるまい。
※AERA 2018年12月3日号