グローバル資本主義の終焉を予測する思想家の内田樹さんは最近、「脱都市」の潮流に注目しているという。内田さんが定点観測しているという4地点の事例と、潮流の背景について聞いた。
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私が地方回帰に興味を持ち始めたのは、数年前から私の周辺でそういう人たちが急に増えてきたからである。移住した彼らに共通するのは上機嫌であること。根底には、賃労働の呪縛から逃れた安心感と、自らの手で価値あるものを作っている自信があるのだろう。
都会では、衣食住を含め必要なものはすべてお金を払わなければ手に入れられない。長時間労働に苦しみながらも賃労働をやめられないのは、金がないと生きてゆけないからである。
田舎に移住した人たちがまず驚くのは、生活の基本部分が非常に安価で、場合によっては無償で提供されることである。とれ過ぎた農産物や魚介類は近所の人が玄関先に置いていってくれる。都会ではほとんど遭遇することのない贈与の経験である。
山形県鶴岡市に2011年、東京から移り住んだ加藤丈晴さん(52)は、大手広告会社、博報堂の元社員。仕事を通じて修験道の行者「山伏」の存在を知り、彼らの自然と一体となった生き方に衝撃を受けて、自らの生活を見つめ直した。今は地域の人たちと、外国人に山伏修行の場を提供する事業に取り組む。年収は4分の1になったが、「大切な人と過ごす時間が増え、地域に貢献している実感も得られて幸せ感は10倍」だと言う。
3年前、兵庫県の但馬に神戸市から移り住んだ野村俊介さん(40)は、私が主宰する合気道の道場「凱風館」の門人である。医療系メーカーの社員だったが、友人の農園に遊びに行ったことをきっかけに「10年後も、今の仕事に情熱を持ち続けられるか」と自問し、会社を辞めた。いまは播磨の神河町で、江戸時代から続く伝統のお茶づくりに挑戦中である。彼の意気揚々とした姿に触発され、凱風館の若者4人も同じ地区に移住した。
私のゼミ生だった青木真兵さん(35)は16年、夫婦で奈良県東吉野村に移り住んだ。公立図書館も本屋もない過疎の村に、私設の図書館と、「土着人類学研究所」という知的情報発信拠点を作った。秀逸なアイデアだと思う。図書館には文学や歴史、思想など2千冊の本をそろえ、「役に立つ・立たないという議論では揺れ動かない一点を常に意識している」と語る。
自らラジオ番組を作り、ワークショップも開催しながら、「役に立たない」ものを切り捨てる社会のあり方に鋭い問いかけを続けている。村への来訪者も増え、新たな風が吹き始めている。
山口県の周防大島には、私の知り合いでパンクバンド「銀杏BOYZ」のギタリストだった中村明珍(みょうちん)さん(39)ら若い移住者が多い。彼らが「オーガニックな生活」をテーマに島の仲間と企画したイベント「島のむらマルシェ」には、島の内外から大勢の人が詰めかけている。いまや中村さんは島の人の信頼も厚く、僧侶までしている。
私たちはほんの少し前まで相互扶助的な共同体の中で生きてきた。地縁・血縁の共同体から離れた個人が、必要なものをすべて市場で調達して自立的に生きられるようになったのは、この数十年のことである。市民がバラバラの個として生きる「原子化」は社会が豊かで安全になったことの帰結だが、その豊かさや安全の前提が崩れ始めている。だから、人々が「原子」的に生きることをやめて、「共同」的な生き方に回帰しようとするのは当然であり、この歴史的趨勢(すうせい)は止まらないだろう。
(構成/編集部・石臥薫子)
※AERA 2018年10月8日号