「一億総活躍社会などの看板政策は、党内の議論がないまま、官邸が決めたことを自民党が下請け的に実行している。その傾向は強くなるばかりで、議会軽視ととられても仕方がない」

 かつての自民党は違った。小泉元首相が「自民党は首相に何を言おうが自由だったんだよ。言いたい放題言った。ただ、決まれば従う。今は決まる前から首相のご意向に黙っちゃうから、おかしいよね」(2016年2月刊行の常井健一著『小泉純一郎独白』から)と話せば、盟友の山崎拓・自民党元副総裁(81)が本誌の取材に応じ、初当選した1972年の思い出を話した。

「同じ中曽根派に所属した当選同期の野田毅衆院議員が派閥の総会で中曽根康弘・通産大臣(当時)に『会長の意見は間違っているように思います』と1回生ながら発言し、仰天した。それでも中曽根さんは丁寧に『どこが間違っていると思うかね?』と反問されたが、確かに自由にものを言える空気がそこにはあった」

 ただ、それは派閥に力があった中選挙区時代の話で、小選挙区になった今と同列に語るのは難しい。山崎元副総裁は自民党が変わった大きな要因の一つに、この小選挙区制度を挙げる。

「派閥の異なる自民党議員が同じ選挙区で争った中選挙区時代は、党内に保守とリベラルがあり、派閥同士が思想信条をぶつけ合って党内の政権交代もあった。小選挙区になると人ではなく、政党の力で当選する時代になった。選挙資金や公認権を執行部に握られ、ご機嫌をうかがわなければならない。さらには戦後の『国破れて山河あり』の時代に出てきた三角大福中(首相を務めた三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫・中曽根康弘)には国家を再建しようという志があったが、今の国会議員は世襲議員が多く志が見られない。公認候補となるのは公募で選ばれた会社員出身の者か世襲議員ばかりだ」

 弱体化した派閥の代わりに自民党内で台頭し始めたのがイデオロギー集団だ。「それをリードしてきたのが安倍首相だった」と指摘するのが、一橋大学の中北浩爾(こうじ)教授(政治学)である。

「93年に野党議員として政治家人生をスタートさせた安倍首相の課題は、自民党を政権の座に居続けさせること。当時のリベラルな与党に対抗するため、おのずと右傾化したと見ています」

●政権交代で世襲議員と改憲マニアばかりになった

 自民党の右傾化は90年代中盤にさかのぼる。リベラル派が優位だった自民党・社会党・さきがけ連立政権で、右派の危機感が高まったのが95年の「戦後50周年の終戦記念日にあたって」の首相談話(村山談話)だ。社会党の村山富市元首相は、第2次大戦中にアジア諸国で侵略や植民地支配を行ったことを認め、謝罪した。

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