1995年3月の地下鉄サリン事件など計13事件で27人を死なせたとして有罪が確定した、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)ら7人の元幹部の死刑が執行された。坂本堤弁護士一家事件(89年)を機にオウム真理教問題に取り組み、取材を続けてきたジャーナリストの江川紹子さんは執行について6日、「平成の大事件なので平成のうちに大きな区切りをつけておきたかったのだと思う。皇室関係の行事もあり、自民党の総裁選などの政治的イベントからできるだけ時間をおきたいというこもあったのでは」と話した。江川さんが、今年3月、オウム裁判の終結を受けてAERA(3月26日号)に「オウム 初期に事件性を認識、何が捜査を止めたか オウム裁判が終結」として寄せた記事を再掲する。
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ようやく終わった。
オウム真理教が坂本堤弁護士一家を殺害して28年余り。そして地下鉄サリン事件が起き、警察の大がかりな捜査が始まって23年。五つの凶悪事件に関わり、17年間逃走していた高橋克也の無期懲役判決が今年1月に確定して、すべてのオウム裁判が終了した。
一連の事件では、30人ほどの死者と7千人近い負傷者が出た。教団の192人が起訴され、190人が有罪に。教祖の麻原彰晃こと松本智津夫ら13人の死刑が確定している。
裁判では、各事件の事実関係がかなり判明した。重大事件に関与した一部幹部の裁判では、被告人質問や家族、友人などの証言で、生い立ちやオウムにのめり込んでいく経緯、教団での生活なども語られた。
凶悪事件に関わった者たちも、入信前は、ごく普通の若者だった。むしろまじめに生き方を考える青年たちで、大人たちから見ると「いい子」が多い。
彼らがオウムに入ったのは、バブル景気のまっただ中。札束が飛び交う金満社会の片隅で、本当の豊かさとは何かを考えたり、精神世界に真の幸せを求めたりする人たちもいた。また、『ノストラダムスの大予言』は売れ続け、テレビで霊能者ブームが起きた。
■信者の心を縛るのに「神秘体験」を利用
そんな時代に、「最終解脱者」を自称する麻原は、生き方に迷う若者や心の不安定さに悩む人々に対し、修行によって「すべてが思いのままになる」と説いた。そして、「ハルマゲドン(大破局)」が近いと語って危機感や不安をあおり、「人類救済活動」に加わる者が必要だと、若者たちの使命感を駆り立てたのだ。
例えば、端本悟(死刑囚)の場合。両親の証言によれば、反抗期もなく、素直な子どもだった。ただ、将来については「普通のサラリーマンにはなりたくない」が口癖。しかし、どうすれば自分らしく、意味のある生き方ができるのかが分からない。大学は法学部に進み、弁護士や青年海外協力隊などに対する憧れも芽生えたが、いずれも漠然とした夢物語だった。そんな折、オウムに入信した友人を脱会させようとして教団に近づき、逆に感化されて、自身がのめり込んだ。両親は反対したが、彼は「ハルマゲドンを止めなければ」「自分は今まで幸せに育ったので、恩返しをしなければ」などとまくし立て、教団に飛び込んでいった。
彼は法廷で、当時をこう振り返った。
「今となってみると、悪い夢を見ているような感じで……。(親から)独立する場所を探していたのかもしれない」
空手の腕を買われ、坂本事件の実行犯に組み入れられた。事件後、教団を抜け出したこともあるが、自ら舞い戻った。麻原を信じている間は、事件も宗教的に意味のある行為と思い込むことができるが、離脱すれば、ただの人殺しである。それに耐えられず、ずるずると教団生活を続けるうちに、松本サリン事件に関わることになった。
光を見るなど、修行で得る非日常的な体験を、麻原は「神秘体験」と称し、信者の心を縛るのに利用。「体験」は教えの正しさを証明するとし、教えから離れれば地獄に落ちる、との恐怖心を植え付けた。信者はその呪縛からなかなか逃れられない。後に教団が覚醒剤やLSDを密造し、儀式と称して信者に投与して幻覚を見せたのは、手っ取り早く「体験」をさせるためだ。