ある時、人参のことを1日考えてみたのである。自分が生まれるはるか前から存在している“人参先輩”には必ず意味があるはずだと。わかったのは「自分より人気がある」ことと「世間の役に立っている」ことだった。するとどうだろう、あれだけ苦手だった人参が美味しく食べられるようになったのだ。45歳のことだった。人生まだまだ生きてる意味があるなと思えた。
エンターテインメントに置き換えてみる。
作り手のせいにして「つまらない」だの居丈高にSNSなどで語っていやしまいか。「エンタメ飽食時代」にあって、つまらないのは自分が悪いからである。それより、自分を変えて、体調を整えてから見る方が良い。私は人参からそのことを学んだ。あなたが不味いと思うのは、あるいは、つまらないと感じるのは、「想像力がない」または、「ちゃんと腹が減っていない」からかもしれないじゃないか。
質の高いサービスが当たり前の時代は、送り手より受け手が「感じ方を工夫する」に限る。
さて、この文章がつまらないのは果たしてどちらのせいなのか? よく考えてほしい。
※AERA 2018年6月4日号